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教皇の意向:女性の役割 (4月)

年間第四金曜日(2/3)

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ダビデはいと高き主に祈り求めて、

シラ47:5

福者ユスト高山右近殉教者 記念日

集会祈願

🌸 第一朗読 (ヘブライ13:1-8)

ヘブライ人への手紙
 

1兄弟としていつも愛し合いなさい。 2旅人をもてなすことを忘れてはいけません。そうすることで、ある人たちは、気づかずに天使たちをもてなしました。 3自分も一緒に捕らわれているつもりで、牢に捕らわれている人たちを思いやり、また、自分も体を持って生きているのですから、虐待されている人たちのことを思いやりなさい。 4結婚はすべての人に尊ばれるべきであり、夫婦の関係は汚してはなりません。神は、みだらな者や姦淫する者を裁かれるのです。 5金銭に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい。神御自身、「わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない」と言われました。 6だから、わたしたちは、はばからずに次のように言うことができます。
「主はわたしの助け手。
わたしは恐れない。
人はわたしに何ができるだろう。」
7あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい。 8イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。

🌸 答唱詩編 詩編27 典73 ①③

アレルヤ唱 典

🌸 福音朗読 (マルコ6:14-29)

マルコによる福音

 〔そのとき、〕14イエスの名が知れ渡ったので、ヘロデ王の耳にも入った。人々は言っていた。「洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」 15そのほかにも、「彼はエリヤだ」と言う人もいれば、「昔の預言者のような預言者だ」と言う人もいた。 16ところが、ヘロデはこれを聞いて、「わたしが首をはねたあのヨハネが、生き返ったのだ」と言った。 17実は、ヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚しており、そのことで人をやってヨハネを捕らえさせ、牢につないでいた。 18ヨハネが、「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。 19そこで、ヘロディアはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。 20なぜなら、ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである。 21ところが、良い機会が訪れた。ヘロデが、自分の誕生日の祝いに高官や将校、ガリラヤの有力者などを招いて宴会を催すと、 22ヘロディアの娘が入って来て踊りをおどり、ヘロデとその客を喜ばせた。そこで、王は少女に、「欲しいものがあれば何でも言いなさい。お前にやろう」と言い、 23更に、「お前が願うなら、この国の半分でもやろう」と固く誓ったのである。 24少女が座を外して、母親に、「何を願いましょうか」と言うと、母親は、「洗礼者ヨハネの首を」と言った。 25早速、少女は大急ぎで王のところに行き、「今すぐに洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます」と願った。 26王は非常に心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、少女の願いを退けたくなかった。 27そこで、王は衛兵を遣わし、ヨハネの首を持って来るようにと命じた。衛兵は出て行き、牢の中でヨハネの首をはね、 28盆に載せて持って来て少女に渡し、少女はそれを母親に渡した。 29ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、やって来て、遺体を引き取り、墓に納めた。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 今日は、6年前に大阪で列福された福者ユスト高山右近を記念するミサを捧げます。 
 高山右近は63年の人生の中で、何度も死を経験しました。肉体の死は、晩年、多くの信徒たちとともに流されたフィリピンでの死(1615年)でしたが、それまでに、愛する人々、信頼して仕えた師、領民、そして、領地と財産・地位、そのすべてを、少しずつ、そして、決定的に、太閤秀吉から「どちらを取るのか、自分か、それともデウスか」と迫られたとき、全面的に放棄する選択をしたとき(1587年)に経験したのです。その文字通りの死に匹敵する潔い決断は、どれほど多くのキリシタンを勇気づけ、また、人々を信仰に導いたでしょうか。主イエスは言われます、「わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる」と。主に従う決意をした右近は、次第に、主に似たものとなり、主のように貧しく、蔑まれるものとなり、主のいるところにいるようになります。 自分に与えられたよいものを、自分の意思で放棄し、断念することは、キリストへの愛なしに考えることはできません。
 あの列福の恵みから早6年、少しずつ記憶が薄れてゆくときかもしれませんが、あらためて、多くの方々の努力、そして、神様の寛大な計らいによって、高山右近の列福が実現したことを感謝いたしましょう。どのような状況におかれても、寛大に自分を捧げるこころが日々与えられ、主の愛を、生活をもって証しする恵みを共にお祈りいたしましょう。(S.T.)

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聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

1 comments

  1. 今日が右近の日とは知らなかった。
    分かち合いを読んで、最近、遠くヘ行った教会外の友人が高山右近のことを清々しくも苦しみをも声に含ませ生き生きと語ってくれたことを思い出した。右近はだんだんと、やがてすべてを捨てた、と。
    四ツ谷の教会で日曜昼にカレーを喰ってたら目の前に座った母より若い年上の女性が、先頃帰天された加賀乙彦の『高山右近』を絶賛した。
    久しぶりに目の前に出した結城了悟神父の『キリシタンになった大名』文庫本の表紙は右近だと思う。
    右近を聴く、右近を見ると
    殺されたって大丈夫!
    殺されたって死んでたまるか!
    って気持ちになる。
    神に感謝。

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