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教皇の意向: 新たな殉教者 (3月)

年間第三月曜日(1/22)

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彼は汚れた霊に取りつかれている

マルコ3:30
集会祈願

🌸 第一朗読 (サムエル下5:1-7.10)

 1イスラエルの全部族はヘブロンのダビデのもとに来てこう言った。「御覧ください。わたしたちはあなたの骨肉です。 2これまで、サウルがわたしたちの王であったときにも、イスラエルの進退の指揮をとっておられたのはあなたでした。主はあなたに仰せになりました。『わが民イスラエルを牧するのはあなただ。あなたがイスラエルの指導者となる』と。」 3イスラエルの長老たちは全員、ヘブロンの王のもとに来た。ダビデ王はヘブロンで主の御前に彼らと契約を結んだ。長老たちはダビデに油を注ぎ、イスラエルの王とした。
4ダビデは三十歳で王となり、四十年間王位にあった。 5七年六か月の間ヘブロンでユダを、三十三年の間エルサレムでイスラエルとユダの全土を統治した。

 6王とその兵はエルサレムに向かい、その地の住民のエブス人を攻めようとした。エブス人はダビデが町に入ることはできないと思い、ダビデに言った。「お前はここに入れまい。目の見えない者、足の不自由な者でも、お前を追い払うことは容易だ。」
 7しかしダビデはシオンの要害を陥れた。これがダビデの町である。 10ダビデは次第に勢力を増し、万軍の神、主は彼と共におられた。

🌸 答唱詩編 詩編89 典38 ①②

アレルヤ唱 典269 ㉙

🌸 福音朗読 (マルコ3.22-30)

マルコによる福音

  22〔その時〕エルサレムから下って来た律法学者たちも、「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と言い、また、「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言っていた。 23そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、たとえを用いて語られた。「どうして、サタンがサタンを追い出せよう。 24国が内輪で争えば、その国は成り立たない。 25家が内輪で争えば、その家は成り立たない。 26同じように、サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。 27また、まず強い人を縛り上げなければ、だれも、その人の家に押し入って、家財道具を奪い取ることはできない。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。 28はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒瀆の言葉も、すべて赦される。 29しかし、聖霊を冒瀆する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」 30イエスがこう言われたのは、「彼は汚れた霊に取りつかれている」と人々が言っていたからである。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 悪霊に憑かれた人の存在は、イエスの時代の人々にとって、わたしたちが想像する以上に脅威。それゆえ、悪霊の追放は、ガリラヤの庶民にとって、病気の癒し以上に驚くべきことで、それによってイエスの教えを権威あるものとして歓迎した。
 しかし、エルサレムから来た律法学者は、そのような不思議を行うイエスを素直に認めることができない。あの田舎者に何ができるのか、とイエスに難癖をつける。そして、旧約聖書に登場する悪霊の頭「ベルゼブルに取りつかれている」とか、「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と、中傷する。(列下1.1エクロンの神、バアル・ゼブブ)
イエスは、彼らの考えの誤りを、互いに争い合うサタンの例をもって明らかにしようとするが、彼らは、イエスが聖霊を注がれたもの、霊に満ちあふれた方であることを根本から認めようとしない。
 だから、後半の厳しい言葉が出て来る。「聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う」と。
イエスがなさる癒しの業、悪霊の追放は、自らが神のもとから来られた方であることを証しするしるしであることを、あらためて心に刻もう。
 そして、わたしたちも、かたくなな心で、自分の考えに捉われ、自分と違う考え、ふるまいを受け入れることができず、しばしば人を裁いてしまっていることを認め、赦しを願おう。(S.T.)

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聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

2 comments

  1. 聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、、。
    との福音を以前、毎日新聞余録が批判していた。
    聖霊というのは実はいつでもどこでもあるから、これに逆らえば、罪と罰・要件と効果などという世俗法の分裂思考パターンにとらわれなくても、
    それ自体が、裁き(善そのものを心から行えば救い)となることは自明だ。

    第一段階、神が怖いから悪を行わない。
    第二段階、神からほめられるから善を行う。
    第三段階、神と一緒に喜んで善に生きる。
    ホップ・ステップ・ジャンプ!
    神と、
    ♫ダンス!ダンス!ダンス!
    頬を寄せて、、、♫(唄、竹内まりや)

    返信
  2. 素晴らしい!
    と素直に言える勇気をいつも持ちたい。
    インターネットやSNSパンデミック以来、いいねとかオシとか人々の顔なき喝采を求め、ちあきなおみの喝采は忘却の彼方に。
    エマーソンは喝采を求めると自由を失うと言ったが、顔なき喝采より顔のある喝采の方がまし(デリタよりレヴィナス?!)。
    Don’t seek yourself outside yourself.

    返信

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