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教皇の意向:女性の役割 (4月)

年間第三十三土曜日(11/25)

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すべての人は、神によって生きている

ルカ20:38

(聖カタリナ -アレキサンドリア- おとめ殉教者)

集会祈願

🌸 第一朗読 (一マカバイ6.1-13)

 1アンティオコス王は、高地の国々を通過していたとき、豊富な金と銀で有名なエリマイスという町がペルシアにあることを耳にした。 2その町の神殿は、驚くほど富んでいて、金の兜、胸当て、武器などがあったが、それはマケドニア人の王、フィリポスの子アレキサンドロスが残していったものである。このアレキサンドロスはギリシア人を統治した最初の人物である。 3アンティオコスはその町の占領と略奪をもくろんで出陣したが、たくらみが事前に市民に漏れてしまったので、成功しなかった。 4人々が彼に戦いを挑もうと立ち上がったからである。彼は恐れをなし、心を残しつつも、途中からくびすを返しバビロンへ戻ろうとした。 5すると、ペルシアにいる彼のところに一人の男がやって来て、報告をもたらした。「ユダの地への派遣軍は敗走しました。 6リシアスは最強の軍隊を率いて進軍しましたが、撃退されてしまいました。ユダヤ軍は、撃破した部隊から奪い取った多数の武器、装備、戦利品で軍を強化し、 7王がエルサレムの祭壇にお建てになった『憎むべきもの』を引きずり下ろし、聖所を以前のように高い塀で囲み、王の町であったベトツルも同様に固めました。」
 8この言葉を聞いて、王は愕然として激しく震えだし、寝台に倒れ、心痛のあまり病気になってしまった。事が思うようにならなかったからである。 9激痛が繰り返し襲ったので、彼は何日もそこにとどまることを余儀なくされた。彼は死が迫っていることを悟った。 10彼は友人全員を呼び寄せて言った。「眠りはわたしの目を離れ、心労のため精も根も尽き果てた。 11わたしは自問した。『なぜこんなにひどい苦痛に遭わされ、大波にもまれなければならないのか。権力の座にあったときには、憐れみ深く、人々には愛されていたのに』と。 12しかし今、エルサレムで犯した数々の悪行が思い出される。わたしは不当にも、その町の金銀の調度品全部をかすめ、ユダの住民を一掃するため兵を送った。 13わたしには分かった。こうした不幸がわたしにふりかかったのは、このためなのだ。見よ、わたしは大きな苦痛を負って、異郷にあって死ぬばかりである。」

🌸 答唱詩編 詩編66 典130 ①③

アレルヤ唱 典269 ㉙

🌸 福音朗読 (ルカ20.27-40)

ルカによる福音

 27〔そのとき、〕復活があることを否定するサドカイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに尋ねた。 28「先生、モーセはわたしたちのために書いています。『ある人の兄が妻をめとり、子がなくて死んだ場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。 29ところで、七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、子がないまま死にました。 30次男、 31三男と次々にこの女を妻にしましたが、七人とも同じように子供を残さないで死にました。 32最後にその女も死にました。 33すると復活の時、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです。」 34イエスは言われた。「この世の子らはめとったり嫁いだりするが、 35次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。 36この人たちは、もはや死ぬことがない。天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである。 37死者が復活することは、モーセも『柴』の個所で、主をアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と呼んで、示している。 38神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。」 39そこで、律法学者の中には、「先生、立派なお答えです」と言う者もいた。 40彼らは、もはや何もあえて尋ねようとはしなかった。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 今日はルカによる福音書20章の半ばに進む。今回の朗読箇所には含まれていないが、以前の箇所では、イエスはご自身の権威に対する挑戦に反論し、批判者たちを文字通り言葉を失わせた。続いて、小作人についてのたとえを話された。イエスは明らかに質問者たちを指して、ぶどう園の主人が遣わした使者(預言者)たちをことごとく罵倒し、その息子を殺すに至った悪い小作人たちと同一視したのである。小作人たちと御子の同一性は明らかである。この後、イエスはカイザルに税金を納めるという一見無害な質問に直面し、批判者たちを再び沈黙させた。

 今日、別のグループ、サドカイ派の人々は、自分たちの方がうまくいくかもしれないと考えていた。サドカイ派は、大祭司を含むユダヤ教の最も有力な指導者たちの中に名を連ねており、自分たちの信仰をモーセが書いたとされる聖書の最初の五書(ユダヤ教の律法のエッセンスが書かれている)に限定していた。

 そのため、ファリサイ派の人々とは異なり、旧約聖書の後の書物にのみ登場するいくつかの信仰を受け入れなかった。例えば、天使の存在や死者の復活などである。

 サドカイ派の人々は、イエスに答えのない難問を突きつけようと考えた。彼らはまず、モーセの律法から、結婚して子供がいない場合、長兄の妻と結婚するようにという規定を引用した。そして、7人の兄弟の状況を想像する。最初の兄弟は結婚したが子供がいなかったので、律法の定めに従って2番目の兄弟が未亡人と結婚し、3番目の兄弟も結婚した。結局、7人の兄弟は全員その女性と結婚したが、子供はいなかった。

 もし死後に本当に復活があるのなら、7人のうち誰が来世でその女性の夫になるのだろうか?復活を信じていない彼らにとって、問題はなかった。死はすべての終わりであった。復活を信じている者にとっては、それは気恥ずかしい難題であった。

 イエスはすぐにその問題を一蹴した。そもそも、来世では結婚関係はない:

 現世に属する者たちは結婚し、婚姻関係を結ぶが、その時代と死者の復活にふさわしいとされる者たちは、結婚も婚姻関係も結ばない。

 新しい命では、すべての人が、終わることのない命の中で、神と向き合って生きる。すべての人は等しく神の子であり、互いに兄弟姉妹であり、その命と存在を神から受けている。それが今、彼らの関係の焦点であり、その関係を通して彼らは結ばれているのである。

 続いてイエスは、死後の命についてサドカイ派の不信仰に挑戦する。サドカイ人たちが真実であると認識している聖書の一部を抜け目なく引用する。燃える柴からの声がモーセに自らを名乗った場面を思い出させる:

 「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」(エジプト記3:6)

 イエスは、神は生きている者の神であり、死んだ者(すなわち、もはや存在しない者)の神ではないと言われる。もしアブラハム、イサク、ヤコブが生きているなら、サドカイ派の議論は破綻する。おそらく、私たちはそのような議論に納得しないだろうが、この場合は明らかに通用した。

 傍聴していた何人かの律法学者は、サドカイ派の反論に大喜びした。彼らのほとんどはファリサイ派の人々で、復活を信じていた。同時に、イエスがファリサイ派の人々にもサドカイ派の人々にもこのように答えた後、「彼らはもはやイエスに次の質問をする勇気がなかった」。

 もちろん、私たちが復活を信じるのは、ここでイエスが論証されたからというよりも、イエスご自身が復活され、ご自分の人生を永遠に私たちと分かち合うと約束されたからである。

Living Spaceより

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聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
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