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教皇の意向:女性の役割 (4月)

年間第十九土曜日(8/19)

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子供たちを来させなさい。

マタイ19:14
集会祈願

🌸 第一朗読 (ヨシュア24.14-29)

 14〔その日、ヨシュアは民に言った。〕あなたたちはだから、主を畏れ、真心を込め真実をもって彼に仕え、あなたたちの先祖が川の向こう側やエジプトで仕えていた神々を除き去って、主に仕えなさい。 15もし主に仕えたくないというならば、川の向こう側にいたあなたたちの先祖が仕えていた神々でも、あるいは今、あなたたちが住んでいる土地のアモリ人の神々でも、仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます。」
 16民は答えた。
 「主を捨てて、ほかの神々に仕えることなど、するはずがありません。 17わたしたちの神、主は、わたしたちとわたしたちの先祖を、奴隷にされていたエジプトの国から導き上り、わたしたちの目の前で数々の大きな奇跡を行い、わたしたちの行く先々で、またわたしたちが通って来たすべての民の中で、わたしたちを守ってくださった方です。 18主はまた、この土地に住んでいたアモリ人をはじめ、すべての民をわたしたちのために追い払ってくださいました。わたしたちも主に仕えます。この方こそ、わたしたちの神です。」
 19ヨシュアはしかし、民に言った。
 「あなたたちは主に仕えることができないであろう。この方は聖なる神であり、熱情の神であって、あなたたちの背きと罪をお赦しにならないからである。 20もし、あなたたちが主を捨てて外国の神々に仕えるなら、あなたたちを幸せにした後でも、一転して災いをくだし、あなたたちを滅ぼし尽くされる。」
 21民がヨシュアに、「いいえ、わたしたちは主を礼拝します」と言うと、 22ヨシュアは民に言った。
 「あなたたちが主を選び、主に仕えるということの証人はあなたたち自身である。」
 彼らが、「そのとおり、わたしたちが証人です」と答えると、 23「それではあなたたちのもとにある外国の神々を取り除き、イスラエルの神、主に心を傾けなさい」と勧めた。
 24民はヨシュアに答えた。
 「わたしたちの神、主にわたしたちは仕え、その声に聞き従います。」
 25その日、ヨシュアはシケムで民と契約を結び、彼らのために掟と法とを定めた。 26ヨシュアは、これらの言葉を神の教えの書に記し、次いで、大きな石を取り、主の聖所にあるテレビンの木のもとに立て、 27民全員に告げた。
 「見よ、この石がわたしたちに対して証拠となる。この石は、わたしたちに語られた主の仰せをことごとく聞いているからである。この石は、あなたたちが神を欺くことのないように、あなたたちに対して証拠となる。」
 28ヨシュアはこうして、民をそれぞれの嗣業の土地に送り出した。
 29これらのことの後、主の僕、ヌンの子ヨシュアは百十歳の生涯を閉じ

🌸 答唱詩編 詩編16 典98①⑤

アレルヤ唱 典269 17A

🌸 福音朗読 (マタイ19.13-15)

マタイによる福音

 13そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。 14しかし、イエスは言われた。「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」 15そして、子供たちに手を置いてから、そこを立ち去られた。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 殉教者聖マキシミリアノ・マリア・コルベ神父は、戦前、長崎で6年間、宣教につくされた。教会のため、人々のために、休むことなく自分を捧げた聖人の生涯、特に、その最後を考えると、尊敬以上の畏怖の念さえ覚える。ナチス・ドイツという強大な国家権力の前に、一人の小さな人間として対峙されたとき、もっと人々のために働くために脱出を試みるべきか、ひたすら解放の時を忍耐強く待つべきか、思いをめぐらされなかっただろうか。しかし、思ってもみなかった現実が現れた。つまり、一人の脱獄者のために10人が直ちに餓死室に送られることになったが、そのうちの一人が、「自分はもう二度と妻や子供に会うことが出来ない」と泣き叫ぶ。そこで、彼は迷うことなく、独り身の自分が身代わりになることを決意して、それが受け入れられた。これは、信仰のために命を捧げた殉教者以上の愛の行為である。
 今日の福音の中でイエスは言われる、「子どもたちがわたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである」と。それ以上の説明はない。しかし、子どもと接していれば、それはわかる。子どもには、未来も過去もない。あるのは「今」。他所も世界もない。あるのは「ここ」。子どもは、今、ここに存在することがすべてであり、時間も空間の観念もない。神は、時空を超えた存在でありながら、限られた今、ここにいる存在をことのほか愛される。コルベ神父は、その決意において、まさに、自分の過去も未来も忘れ、今、目の前にいる一人の人を受け入れることによって、神の世界に入られた、と考えることはできないだろうか。(S.T.)

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聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
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