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敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい

マタイ5:44
集会祈願

🌸 第一朗読 (二コリント8.1-9)

 1兄弟たち、マケドニア州の諸教会に与えられた神の恵みについて知らせましょう。 2彼らは苦しみによる激しい試練を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなったということです。 3わたしは証ししますが、彼らは力に応じて、また力以上に、自分から進んで、 4聖なる者たちを助けるための慈善の業と奉仕に参加させてほしいと、しきりにわたしたちに願い出たのでした。 5また、わたしたちの期待以上に、彼らはまず主に、次いで、神の御心にそってわたしたちにも自分自身を献げたので、 6わたしたちはテトスに、この慈善の業をあなたがたの間で始めたからには、やり遂げるようにと勧めました。 7あなたがたは信仰、言葉、知識、あらゆる熱心、わたしたちから受ける愛など、すべての点で豊かなのですから、この慈善の業においても豊かな者となりなさい。
 8わたしは命令としてこう言っているのではありません。他の人々の熱心に照らしてあなたがたの愛の純粋さを確かめようとして言うのです。 9あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。

🌸 答唱詩編 詩編146 典19 ①③

アレルヤ唱 典268 ⑮

🌸 福音朗読 (マタイ5.43-48)

マタイによる福音
 43〔その時、イエスは弟子たちに言われた。〕「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。 44しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。 45あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。 46自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。 47自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。 48だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 今日は主イエスの山上の説教が続き、マタイ福音書による5章の最後の個所が読まれます。ここでは、主イエスによる教えの核心は天の国(神の救いの支配)に入るためのことです。「言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」(20節)。そのためにどうすればいいでしょうかというそれぞれ具体的に倫理的な生き方を教えてくださいます。その中で、最も大切な教えは人を大事にすることです。

 姦淫について話したとき、神は、他者のいのち全体(人格)を大事にすることを望んでおられると主イエスが強調してくださいます。そして、昨日の個所では、恨みを抱かないように、復讐を払わないように、更にもっと与えなさいと主イエスは勧め続けてくださいます。今日のお話は人間に対して最も重要な問題になります。これは敵に対することです。確かに、私たちにとってある人が仲間なのか敵なのかは大きなことです。

 しかし、この箇所で、もっと大きなことは何かと言いますと、神は、私たちも、私たちの敵も、愛しておられるということを主イエスはまとめてくださいます。これは何よりも福音的に喜ばせるお教えだと思います。

 私たちは愛の足りない世界に住んでいるけれども、神はその私たちを大きな愛で包んでくださっているのです。本当の意味では愛の足りない私たちが、神における完全の愛に包まれています。そのことに心を向けてくださいと主イエスは私たちに招いてくださいます。主イエスは「わたしは、世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」とおっしゃっています。完全な方が、この不完全で愛の足りない私たちと共にいてくださっているのです。こんな感謝なことがあるでしょうか。

 敵を愛するのは人間の力による可能を越えています。しかし、完全である神の力によるならば、できないことはありません。敵を愛するということも可能になります。だからこそ、自分の愛の貧しさを覚え続け、完全な愛なる父である神に、完全な救い主イエス・キリストに、そして私たちを生かしてくださる聖霊に拠り頼んでいこうとするなら、天の国は、まさにそういう人のものになるのです。

年間第十一火曜日(6/15)
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2 thoughts on “年間第十一火曜日(6/15)

  • 6月 15, 2021 at 8:06 am
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    毎日 ありがとうございます。
    敵(?)を愛する、といのはいつもいつも私の前に置かれた課題です。
    数年前、私に理不尽なことをする人に対して、「心は伴わなくてもとにかく その方々の心が平らかであるように祈りなさい。」とアドバイスしてくださった方がありました。言われるままにしていたら、ふとガラテヤ5章が浮かびました。《み霊の実》
    私ができなくてもさせてくださる!と実感しました。大きなお恵みでした。
    今日のみ言葉、分かち合いのメッセージが、心に響きます。
    感謝を込めて。

    Reply
    • 6月 20, 2021 at 8:27 pm
      Permalink

      市川和子さま、
      いつもありがとうございます。
      さて、この福音の個所を読んでみますと、「敵」という者はただ自分を迫害する者だけではなく、もっと広い意味で、自分を愛してくれる人や自分の兄弟姉妹ではない人々が含められる者だと思います。

      敵を愛するということは、主に祝福されるように祈って(マタ5:44)、それから彼らに豊かに与えることによって私たち自身の祈りに答えることを意味します(2コリント8:4-5参照。ルカ15:22ffも参照)。

      敵を愛するということは、彼らがそれを受け取ることができる方法で彼らに愛情を示すことを意味します(ルカ15:20)。

      敵を愛するということは、例外的な方法で敵を敬うことを意味します(ルカ15:22-24)。

      敵を愛することは明らかに不可能です。それは純粋な恵みです。それは、私たちが天の父の子供であり(マタ5:45)、天の父が完全であられるように完全な者になる(マタ5:48)ことを示しています。

      敵を愛することは、衝撃的で、預言的で、福音宣教的です。私たちが本当に敵を愛するとき、十字架での主イエスの死は私たちの光となります。

      「神の恵みによって、敵を愛しなさい!」と。

      Reply

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