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教皇の意向:女性の役割 (4月)

復活節第四月曜日(4/26)

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わたしは羊の門である

ヨハネ10:7
集会祈願

🌸 第一朗読 (使徒言行録11.1-18)

 1〔その日、〕使徒たちとユダヤにいる兄弟たちは、異邦人も神の言葉を受け入れたことを耳にした。 2ペトロがエルサレムに上って来たとき、割礼を受けている者たちは彼を非難して、 3「あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした」と言った。 4そこで、ペトロは事の次第を順序正しく説明し始めた。 5「わたしがヤッファの町にいて祈っていると、我を忘れたようになって幻を見ました。大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、天からわたしのところまで下りて来たのです。 6その中をよく見ると、地上の獣、野獣、這うもの、空の鳥などが入っていました。 7そして、『ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい』と言う声を聞きましたが、 8わたしは言いました。『主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は口にしたことがありません。』 9すると、『神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない』と、再び天から声が返って来ました。 10こういうことが三度あって、また全部の物が天に引き上げられてしまいました。 11そのとき、カイサリアからわたしのところに差し向けられた三人の人が、わたしたちのいた家に到着しました。 12すると、“霊”がわたしに、『ためらわないで一緒に行きなさい』と言われました。ここにいる六人の兄弟も一緒に来て、わたしたちはその人の家に入ったのです。 13彼は、自分の家に天使が立っているのを見たこと、また、その天使が、こう告げたことを話してくれました。『ヤッファに人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。 14あなたと家族の者すべてを救う言葉をあなたに話してくれる。』 15わたしが話しだすと、聖霊が最初わたしたちの上に降ったように、彼らの上にも降ったのです。 16そのとき、わたしは、『ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは聖霊によって洗礼を受ける』と言っておられた主の言葉を思い出しました。 17こうして、主イエス・キリストを信じるようになったわたしたちに与えてくださったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、わたしのような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか。」 18この言葉を聞いて人々は静まり、「それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」と言って、神を賛美した。

🌸 答唱詩編 詩編42 典144 ①②③、⑥⑦⑧

アレルヤ唱 典

🌸 福音朗読 (ヨハネ10.1-10)

ヨハネによる福音
 1〔そのとき、イエスは言われた。〕「はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。 2門から入る者が羊飼いである。 3門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。 4自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。 5しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。」 6イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話されたが、彼らはその話が何のことか分からなかった。
 7イエスはまた言われた。「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。 8わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。 9わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。 10盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 今日読まれた福音書の箇所はヨハネ福音書の10章1節から10節です。ヨハネ福音書10章は良い牧者である主イエスの姿を私たちに示します。この箇所を観想してみますと、私たちは、主イエスが弟子たちとどのような関係を持っておられたかが理解できます。それは、深い慈しみ、はかりしれない賜物を与える約束に基づく関係です。主イエスは「わたしが来たのは、羊がいのちを受けるため、しかも豊かに受けるためである」(10:10)と言われています。この関係はキリスト者として私たちの関係と人間関係の模範となります。良い牧者である主イエスは私たちを導いてくださるだけでなく、ご自身が近づいてきて、一緒に歩いてくださいます。見失った羊のような私たちを見つけ出すまで捜し回ってくださいます(ルカ15:4-6参照)。また、私たちのために命を捧げてくださいます。開かれた思いと心をもって主の言葉に耳を傾けましょう。それは、自分の信仰を深め、良心を照らし、福音の教えに従うためです。

 それから、良い羊飼いは次のような三つの資格を持っていると示されています。一つは、羊のためにいのちを捨てることです。もう一つは、自分の羊を知っていることです。最後に一つの群れになるようにその羊たちを導いてくださることです。このように、すべての牧者は良い羊飼いである主イエスに倣っていくわけです。

 使徒的勧告『福音の喜び』は次のような良い牧者を描きます。牧者は、「あるときは、皆の前を歩んで道を示し希望を支えます」。そして、「あるときは、気さくで情け深い親しみをもって皆の中にただあり、またあるときは、遅れを取る人を助けるため皆の後ろを歩かなければなりません」(31項)。皆さん、牧者たちがこのような者となりますように祈ってくださいませんか。

 皆さん、良い牧者である主イエスが常に私たちを惜しみなく愛しているということを思い出して深く感謝しましょう。私たちも皆お互いに世話をするならば、ある意味で良い牧者となるのです。特に、現代においても多くの若者が主のみ声を聞き、それに応答して主イエスのように良い牧者となることができるように祈りましょう。司祭の召命に奉仕する道を歩むすべての人(わたしを含めます)のためにお祈りをお願い申し上げます。

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聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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