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教皇の意向:女性の役割 (4月)

復活節第三木曜日(4/18)

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わたしは、天から降って来た生きたパンである

ヨハネ6:51
集会祈願

🌸 第一朗読 (使徒言行録8.26-40)

 26〔その日、〕主の天使はフィリポに、「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け」と言った。そこは寂しい道である。 27フィリポはすぐ出かけて行った。折から、エチオピアの女王カンダケの高官で、女王の全財産の管理をしていたエチオピア人の宦官が、エルサレムに礼拝に来て、 28帰る途中であった。彼は、馬車に乗って預言者イザヤの書を朗読していた。 29すると、“霊”がフィリポに、「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」と言った。 30フィリポが走り寄ると、預言者イザヤの書を朗読しているのが聞こえたので、「読んでいることがお分かりになりますか」と言った。 31宦官は、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言い、馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼んだ。 32彼が朗読していた聖書の個所はこれである。
  「彼は、羊のように屠り場に引かれて行った。
  毛を刈る者の前で黙している小羊のように、
  口を開かない。
  33卑しめられて、その裁きも行われなかった。
  だれが、その子孫について語れるだろう。
  彼の命は地上から取り去られるからだ。」
 34宦官はフィリポに言った。「どうぞ教えてください。預言者は、だれについてこう言っているのでしょうか。自分についてですか。だれかほかの人についてですか。」 35そこで、フィリポは口を開き、聖書のこの個所から説きおこして、イエスについて福音を告げ知らせた。 36道を進んで行くうちに、彼らは水のある所に来た。宦官は言った。「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」 37† 38そして、車を止めさせた。フィリポと宦官は二人とも水の中に入って行き、フィリポは宦官に洗礼を授けた。 39彼らが水の中から上がると、主の霊がフィリポを連れ去った。宦官はもはやフィリポの姿を見なかったが、喜びにあふれて旅を続けた。 40フィリポはアゾトに姿を現した。そして、すべての町を巡りながら福音を告げ知らせ、カイサリアまで行った。

🌸 答唱詩編 詩編66 典45 ⑦⑨

アレルヤ唱 典269 ㊶

🌸 福音朗読 (ヨハネ6.44-51)

ヨハネによる福音

  〔そのとき、イエスは人々に言われた。〕 44わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。 45預言者の書に、『彼らは皆、神によって教えられる』と書いてある。父から聞いて学んだ者は皆、わたしのもとに来る。 46父を見た者は一人もいない。神のもとから来た者だけが父を見たのである。 47はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。 48わたしは命のパンである。 49あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。 50しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。 51わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 イエスの生涯のクライマックスとも言うべき、群衆にパンを増やして与えた出来事に続いて記される、「命のパン」についての長い説教が読まれている。

 かつて、サマリアの女に水を飲ませてくれ、と依頼したイエスが、のどを潤す水から、永遠の命に至る水に話を進めたように、ここでも腹を満たすパンから、ご自分が与えようとされる、もはや飢えることないパン、永遠の命に至るパンの話へと人々を導かれる。

 しかも、それが神が与えるパンであるだけでなく、イエス自身が命のパン、天から降ったパンであると言われる。「わたしは命のパンである。あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない」と。

 あのナザレで育ち、だれもがよく知っているイエスが、自らを「天から降って来たパンである」ということで、人々は、驚き、自分の耳を疑った。パンを増やして、自分たちの飢えを満たしてくれるだけなら結構な話だが、自らを「天から降って来たパンだ」、「これを食べる者は死なない」などと言うことに、もはやついて行けなくなる。

 そして、実際、この話の続きの部分でイエスの弟子を含む多くの人がイエスから離れていった、とヨハネを記す。イエスの教えは、人間の理解を超えたもの、教えだけでなく、イエスの存在自体が人間の想像を遥かに超えるものであることを、あらためて認めなければならない。イエスを受け入れるためにはあくまで、自分の判断に捉われない、謙遜な態度が求められる。(S.T.)

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聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
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