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教皇の意向:女性の役割 (4月)

四旬節第五火曜日(3月23)

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いつもこの方の御心に適うことを行う

ヨハネ8:29
集会祈願

🌸 第一朗読 (民数記21.4-9)

 4〔その日、イスラエルの民は〕ホル山を旅立ち、エドムの領土を迂回し、葦の海の道を通って行った。しかし、民は途中で耐えきれなくなって、 5神とモーセに逆らって言った。「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのですか。荒れ野で死なせるためですか。パンも水もなく、こんな粗末な食物では、気力もうせてしまいます。」 6主は炎の蛇を民に向かって送られた。蛇は民をかみ、イスラエルの民の中から多くの死者が出た。 7民はモーセのもとに来て言った。「わたしたちは主とあなたを非難して、罪を犯しました。主に祈って、わたしたちから蛇を取り除いてください。」モーセは民のために主に祈った。 8主はモーセに言われた。「あなたは炎の蛇を造り、旗竿の先に掲げよ。蛇にかまれた者がそれを見上げれば、命を得る。」 9モーセは青銅で一つの蛇を造り、旗竿の先に掲げた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぐと、命を得た。

🌸 答唱詩編 詩編78 典59②ab⑤ab

詠唱 典261 ⑰

🌸 福音朗読 (ヨハネ8.21-30)

ヨハネによる福音
 21〔そのとき、イエスはフャリサイ派の人々に言われた。〕「わたしは去って行く。あなたたちはわたしを捜すだろう。だが、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。わたしの行く所に、あなたたちは来ることができない。」 22ユダヤ人たちが、「『わたしの行く所に、あなたたちは来ることができない』と言っているが、自殺でもするつもりなのだろうか」と話していると、 23イエスは彼らに言われた。「あなたたちは下のものに属しているが、わたしは上のものに属している。あなたたちはこの世に属しているが、わたしはこの世に属していない。 24だから、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになると、わたしは言ったのである。『わたしはある』ということを信じないならば、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。」 25彼らが、「あなたは、いったい、どなたですか」と言うと、イエスは言われた。「それは初めから話しているではないか。 26あなたたちについては、言うべきこと、裁くべきことがたくさんある。しかし、わたしをお遣わしになった方は真実であり、わたしはその方から聞いたことを、世に向かって話している。」 27彼らは、イエスが御父について話しておられることを悟らなかった。 28そこで、イエスは言われた。「あなたたちは、人の子を上げたときに初めて、『わたしはある』ということ、また、わたしが、自分勝手には何もせず、ただ、父に教えられたとおりに話していることが分かるだろう。 29わたしをお遣わしになった方は、わたしと共にいてくださる。わたしをひとりにしてはおかれない。わたしは、いつもこの方の御心に適うことを行うからである。」 30これらのことを語られたとき、多くの人々がイエスを信じた。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 主イエスは今日の箇所の中で、体の死についてだけ語っておられるのではありません。罪に縛り付けられている状態にあるすべての人の霊的な死についても語っておられます。この箇所を読んですぐに気付く一つのことは、21節から24節のわずか四節の間に「あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる」という主イエスの言葉が三度も繰り返されることです。

 25節に書いてある質問「あなたは、いったい、どなたですか」という問題はどんな福音書でも中核になりましたが、ヨハネ福音書は特に、最初から最後まで、この問題に集中している福音書だと言われています。ヨハネ福音書においては、 主イエスは、はじめから存在している神の言であり、その言によって世界は創造されたのです。しかし「世」は、その言を信じない、受け入れません。それが、罪ということです。

 つまり、罪とは神を信じていない状態、自分の命の由来(愛のいのち・神のいのち)を受け入れないことです。その罪の内に生きている限り、人は生きながらにして滅びとしての死に覆われております。その結末は、「自分の罪の内に死ぬ」ということにならざるを得ないのです。

 罪の内に、人は神の子を殺します。この罪の根底はエデンの園で蛇に誘惑されたように、「神のようになりたい」ということです。人は神に創造されたもの認めないし、自分が神の似姿であることをも認めていません。自分を神の地位につけようとして、結局、神の子を十字架に上げて殺しました。

 しかし、その罪があったからこそ、主イエスは救い主として人間となり、十字架まで上げられてご自分のいのちを与え、罪の束縛から解放してくださいます。これが本当に良い知らせです。神の小羊主イエス・キリストが世の罪を取り除かれたのです。十字架によって、主イエスは私たちと私たちが思いつく限りの一人ひとりの罪を償われたのです。主イエスに立ち返る人は誰一人、自分の内に死んだまま残されることはありません。誰一人、同じ罪を何度も何度も繰り返しながら生きていかねばならないことはありません。一人ひとりが罪の闇から解放され、神の愛の光の中に導かれるのです。

 だからこそ、主イエスを見つめ、主イエスの愛が私たちに向かって注がれることを感じるでしょう。その愛が私たちを死から命へともたらしますようにお祈りしましょう。

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聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
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