非営利団体のボランティアのために祈る (12月)

四旬節第四火曜日(3月16)

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あなたは良くなったのだ。もう、罪を犯してはいけない

ヨハネ5:14
集会祈願

🌸 第一朗読 (エゼキエル47:1-9,12)

エゼキエルの預言

 〔その日、主の使いは〕わたしを神殿の入り口に連れ戻した。すると見よ、水が神殿の敷居の下から湧き上がって、東の方へ流れていた。神殿の正面は東に向いていた。水は祭壇の南側から出て神殿の南壁の下を流れていた。 2彼はわたしを北の門から外へ回らせ、東に向かう外の門に導いた。見よ、水は南壁から流れていた。 3その人は、手に測り縄を持って東の方に出て行き、一千アンマを測り、わたしに水の中を渡らせると、水はくるぶしまであった。 4更に一千アンマを測って、わたしに水を渡らせると、水は膝に達した。更に、一千アンマを測って、わたしに水を渡らせると、水は腰に達した。 5更に彼が一千アンマを測ると、もはや渡ることのできない川になり、水は増えて、泳がなければ渡ることのできない川になった。 6彼はわたしに、「人の子よ、見ましたか」と言って、わたしを川岸へ連れ戻した。 7わたしが戻って来ると、川岸には、こちら側にもあちら側にも、非常に多くの木が生えていた。 8彼はわたしに言った。「これらの水は東の地域へ流れ、アラバに下り、海、すなわち汚れた海に入って行く。すると、その水はきれいになる。 9川が流れて行く所ではどこでも、群がるすべての生き物は生き返り、魚も非常に多くなる。この水が流れる所では、水がきれいになるからである。この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。  12川のほとり、その岸には、こちら側にもあちら側にも、あらゆる果樹が大きくなり、葉は枯れず、果実は絶えることなく、月ごとに実をつける。水が聖所から流れ出るからである。その果実は食用となり、葉は薬用となる。」

🌸 答唱詩編 イザヤ35 典165⑥⑦

アレルヤ唱 典261①

🌸 福音朗読 (ヨハネ5:1-3a、5-16)

ヨハネによる福音

 〔ユダヤ人の祭りの日に、〕イエスはエルサレムに上られた。 2エルサレムには羊の門の傍らに、ヘブライ語で「ベトザタ」と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊があった。 3aこの回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた。 5さて、そこに三十八年も病気で苦しんでいる人がいた。 6イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。 7病人は答えた。「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」 8イエスは言われた。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」 9すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。
 その日は安息日であった。 10そこで、ユダヤ人たちは病気をいやしていただいた人に言った。「今日は安息日だ。だから床を担ぐことは、律法で許されていない。」 11しかし、その人は、「わたしをいやしてくださった方が、『床を担いで歩きなさい』と言われたのです」と答えた。 12彼らは、「お前に『床を担いで歩きなさい』と言ったのはだれだ」と尋ねた。 13しかし、病気をいやしていただいた人は、それがだれであるか知らなかった。イエスは、群衆がそこにいる間に、立ち去られたからである。 14その後、イエスは、神殿の境内でこの人に出会って言われた。「あなたは良くなったのだ。もう、罪を犯してはいけない。さもないと、もっと悪いことが起こるかもしれない。」 15この人は立ち去って、自分をいやしたのはイエスだと、ユダヤ人たちに知らせた。 16そのために、ユダヤ人たちはイエスを迫害し始めた。イエスが、安息日にこのようなことをしておられたからである。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 今日の典礼のテーマは水、人を生かす水です。人間は、生きる限り、命を保つための水を必要としています。それは、身体的生命だけでなく、人間全体についても言えることです。
 第一朗読のエゼキエルの預言では、捕囚から帰還したイスラエルが再建する神殿が、まさに、命の水の源となることがイメージの形で示されます。新しい神殿から流れ出る水が、岸辺の草木を生き返らせ、魚を養い、汚れを清め、豊かな実を結ばせることを語っています。
 ヨハネが語るエルサレム神殿での出来事は、わたしたちが、まさに、どこに、わたしたちを生かす水を求めているか、考えさせます。38年病気に苦しんできた男が、池の水が動くときに、池に入れば癒されるという言葉を信じて、池の端に横たわっています。しかし、彼を池に入れてくれる人がいないため、むなしく時を過ごします。イエスは、彼に一言、「起きなさい。床を担いで歩きなさい」というと、彼はすぐに良くなって、床を担いで歩き出します。
 ユダヤ人たちは、そのイエスの力を認めようとせず、ひたすら安息日の掟を守ることに生きる道があると信じています。
 サマリアの女との対話の中で、イエスは「わたしが与える水を飲む者は、決して渇かない」と言われます。イエスが与えると約束された水は、渇きをいやすだけでなく、汚れを清め、傷をいやし、命を与える生ける命の源です。イエスの言葉に耳を傾け、その御業に心を開き、イエスの生き方を自らのものにしようとして生きるとき、わたしたちも、真のいのちに生かされることをあらためて悟る恵みを祈りましょう。(S.T.)

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「四旬節第四火曜日(3月16)」への1件のフィードバック

  1. イエスの力を認めようとせず、ひたすら安息日の掟を守ろうとする

    このような人々がどれほど多いか。特に日本。だから妙な振興宗教にやられちゃったり、
    虚偽の文書を裁判所に提出し成年後見人にひどい弁護士をつけ母を拉致監禁したり、EU議会が2020年7月実子誘拐禁止を日本政府に求める決議を採択する事態が生じているのだろう。

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