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教皇の意向:女性の役割 (4月)

四旬節第二水曜日(3月3)

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皆の僕になりなさい

マタイ20:27
集会祈願

🌸 第一朗読 (エレミヤ18:18-20)

エレミヤの預言

 〔人々は言う。〕「我々はエレミヤに対して計略をめぐらそう。祭司から律法が、賢者から助言が、預言者から御言葉が失われることはない。舌をもって彼を打とう。彼の告げる言葉には全く耳を傾けまい。」

19主よ、わたしに耳を傾け
わたしと争う者の声を聞いてください。
20悪をもって善に報いてもよいでしょうか。
彼らはわたしの命を奪おうとして
落とし穴を掘りました。
御前にわたしが立ち、彼らをかばい
あなたの怒りをなだめようとしたことを
御心に留めてください。

🌸 答唱詩編 詩編31 典66②④

アレルヤ唱 典261⑮

🌸 福音朗読 (マタイ20:17-28)

マタイによる福音

 17イエスはエルサレムへ上って行く途中、十二人の弟子だけを呼び寄せて言われた。 18「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子は、祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して、 19異邦人に引き渡す。人の子を侮辱し、鞭打ち、十字架につけるためである。そして、人の子は三日目に復活する。」

 20そのとき、ゼベダイの息子たちの母が、その二人の息子と一緒にイエスのところに来て、ひれ伏し、何かを願おうとした。 21イエスが、「何が望みか」と言われると、彼女は言った。「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください。」 22イエスはお答えになった。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか。」二人が、「できます」と言うと、 23イエスは言われた。「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになる。しかし、わたしの右と左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。それは、わたしの父によって定められた人々に許されるのだ。」 24ほかの十人の者はこれを聞いて、この二人の兄弟のことで腹を立てた。 25そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。 26しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、 27いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。 28人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 主イエスが兄弟ヤコブとヨハネの要求を断りました。しかも、主イエスは、彼らに栄光を与えることを望まないわけではなく、むしろ苦しむことそのことに積極的な意味があることを教えるためです。苦しみはその後の栄光を待って始めて、という意義を持つのではありません。苦しみそのものに意味があります。ヤコブとヨハネにとっては、苦難は栄光を手に入れる手段だと思います。

 だが、主イエスはそのように考えていません。苦しみは無意味ではなく、それこそが主イエスと交わり、主イエスに従う道です。それを示すために、主イエスは「このわたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか」と述べて、「わたし」を強調するのではないかと思います。すなわち、今のところ、主イエスのように、主イエスと共にこの受難の道を歩む必要があるということでしょう。

 主イエスの道は人々に仕える道です。この社会の中、少しでも高いところへ、競争して上へ上へと目指していきたい多くの人々がいるかもしれません。けれども、神様の前で、人間同士、誰が上で、誰が下で、ということは関係ないのです。

 今日の福音で、主イエスは、「仕える者になりなさい」、「僕になりなさい」と言いますが、少なくとも、私にとっては解放の福音だと感じています。もしも、皆さんが上下関係などいろんな意味で人と比較して悩んだり苦しんだりしているならば、今日の福音を本当に解放の福音だと感じてもらえたら、と思いました。「仕える者になりなさい」、「僕になりなさい」人間のレベルだけ見ていたら、損な生き方かもしれません。
 
 でも、神様との関係を見つめたとき、新たな光が与えられると思います。私たちはみな神様の僕(しもべ)だというところに立って、そして、そのことを喜んで生きられる、という生きかたに招かれています。神様が私たちを僕として、私たちを仕える者としてここに置いてくださっています。

 私たち一人ひとりが主イエスと共に、仕える者としての、そして、神の僕としての道に招かれていることを感謝しながら、今日のミサをささげ続けたいと思います。

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聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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