非営利団体のボランティアのために祈る (12月)

年間第四主日(1月31)

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これはいったいどういうことなのだ

マルコ1:27
集会祈願

🌸 第一朗読 (申命記18.15-20)

 15〔モーセは民に行った。〕あなたの神、主はあなたの中から、あなたの同胞の中から、わたしのような預言者を立てられる。あなたたちは彼に聞き従わねばならない。 16このことはすべて、あなたがホレブで、集会の日に、「二度とわたしの神、主の声を聞き、この大いなる火を見て、死ぬことのないようにしてください」とあなたの神、主に求めたことによっている。 17主はそのときわたしに言われた。「彼らの言うことはもっともである。 18わたしは彼らのために、同胞の中からあなたのような預言者を立ててその口にわたしの言葉を授ける。彼はわたしが命じることをすべて彼らに告げるであろう。 19彼がわたしの名によってわたしの言葉を語るのに、聞き従わない者があるならば、わたしはその責任を追及する。 20ただし、その預言者がわたしの命じていないことを、勝手にわたしの名によって語り、あるいは、他の神々の名によって語るならば、その預言者は死なねばならない。」

🌸 答唱詩編 詩編95 典35 ①③④

答 神に向かって喜び歌い、
  感謝の歌をささげよう。

神に向かって喜びうたい、
救いの岩に声をあげよう。
感謝に満ちてみ前に進み、
楽の音に合わせ神をたたえよう。  【答】

海は神のもの、神に造られたもの。
陸も神のもの、神に形造られたもの。
身を低くして伏し拝もう、
わたしたちを造られた神の前に。  【答】

神は、わたしたちの神。
わたしたちは神の民、その牧場のひつじ。
きょう、神の声を聞くなら、
神に心を閉じてはならない。  【答】

🌸 第二朗読 (一コリント7.32-35)

 32〔皆さん、〕思い煩わないでほしい。独身の男は、どうすれば主に喜ばれるかと、主のことに心を遣いますが、 33結婚している男は、どうすれば妻に喜ばれるかと、世の事に心を遣い、 34心が二つに分かれてしまいます。独身の女や未婚の女は、体も霊も聖なる者になろうとして、主のことに心を遣いますが、結婚している女は、どうすれば夫に喜ばれるかと、世の事に心を遣います。 35このようにわたしが言うのは、あなたがたのためを思ってのことで、決してあなたがたを束縛するためではなく、品位のある生活をさせて、ひたすら主に仕えさせるためなのです。

アレルヤ唱 典271 4B

アレルヤ、アレルヤ。暗やみに住む民は偉大な光を仰ぎ、死のかげにおおわれた人々に光が現れた。アレルヤ、アレルヤ。

🌸 福音朗読 (マルコ1.21-28)

マルコによる福音
 21イエスは、安息日に〔カフャルナウムの〕会堂に入って教え始められた。 22人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。 23そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。 24「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」 25イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、 26汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。 27人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」 28イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった。

奉納祈願

すべての人の救いを望まれる神よ、あなたのことばに励まされ、希望のうちに祈ります。救いのうたげに集うわたしたちを強め、あなたに仕える喜びを味わわせてください。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

拝領祈願

わたしたちを一つにして下さった神よ、いのちの恵みに満たされて祈ります。キリストが力強く語られたことばを、日々出会う人々と分かち合うことができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 年があらたまり、教会の典礼も、イエスの公生活のはじめの部分が取り上げられています。先週は、最初の弟子の召出し、そして、今日は、マルコが記す、イエスの最初の働きが読まれました。会堂で教えられたこと、そして、汚れた霊につかれた人を自由にされたことです。しかし、マルコは、そこで、ただイエスのなさったことを報告しているのではありません。むしろ、イエスがどなたなのかということを、その働きから示そうとしています。

 イエスは、まず、会堂で教えられます。安息日に聖書を読み、それについての説教(分かち合い)をなさいます。
しかし、それは、聞きなれた律法学者(ラビ)の説教のようではなく、「権威ある者としてお教えになった」とあります。単なる律法の解説ではなく、人の心を揺さぶる力をもって、その根本について語られたのでしょう。そして、そこに居合わせた汚れた霊につかれた男から霊を追い出し、彼に自由を回復されます。ただ一言、「黙れ、この人から出て行け」と言われるだけで、男は正気を取り戻します。その衝撃的な光景を目撃して人々は言います、「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く」と。

 人々は、イエスの存在と言葉、そのふるまいに圧倒され、驚きに身を振るわせます。それは、今だかつて見聞きしたことのないような経験だったのでしょう。単なる優れた教師、説教師ではなく、権威と力をもって語り、一言をもって人を縛っているものから解き放ち、自由を回復する、まさに、神から遣わされたものとしての品格・威厳を感じたのでしょう。「イエスの評判は、たちまち、ガリラヤ地方の隅々にまで広まった」とあります。福音記者マルコは、そのような出来事、そのような人々の驚きを、福音の冒頭にどうしても記したかったのでしょう。それが、まさに、彼が伝えようとした福音、「神の子、イエス・キリストの福音」の神髄だからです。

 そのような人物がイスラエルに送られるということは、古くから伝えられてきました。今日の第一朗読『申命記』の中で、神がモーセに語られた言葉が読まれました。「わたしは彼らのために、同胞の中からあなたのような預言者を立てて、その口にわたしの言葉を授ける」と。モーセは、シナイ山で、直接その姿を見、声を聞いたら生きていられないと言われた神の声を聞く恵みを受けます。十戒とそれに関連する様々な掟です。そして、神は、モーセのような、神の言葉を聞いて、それについて語る預言者をイスラエルに送ると約束されたのです。洗礼者ヨハネが現われたとき、人々は言いました、あなたはメシアですか、ではエリアですか、それなら「あの預言者」(ヨハネ1.21)ですかと。ヨハネは、そのすべてに否定的に答えます。彼の後に来る方こそ、そのすべてに該当する方だからです。

 まさに、イエスの到来によって、約束された預言者の登場によって、「暗闇に住む民は偉大な光を仰ぎ、死のかげに覆われた人々に光が現れた」(アレルヤ唱)のです。神の言葉を語り、それを自らの働きによって証しする方の、遮ることのできない光を浴びて生きる喜びを感じるとき、わたしたちの時代の中で、同じ使命に与り、人々に光をもたらす使命を受けた人々のことを思い起こさせられます。この一月、3人のイエズス会員が帰天されました。アイルランド、アメリカ、そして、スペイン出身の神父様方です。生まれ故郷を離れ、遠く日本の地で、キリストの光を高く掲げ、その存在と働きを通して、真の喜びと希望のありかを、示してくださった司祭方です。感謝のうちに、こうした神父様方のために祈りましょう。そして、うれしい知らせもあります。3月20日に、広島教区で2人の教区司祭が誕生します。そして、秋には、イエズス会司祭の叙階も予定されています。こうした人々に続く召出しが与えられるよう、召命のためにも祈りましょう。目には見えない、しかし、天地を造り、すべての良い物を与えてくださる神様に近づくために、神様は、たとえ不完全であっても、(神様から愛された)人間の口を通して語ることを、望んでおられます。そうした望みを、わたしたちの間に実現してくださるよう祈りましょう。(S.T.)

🌸 他の分かち合い

 主イエスは公に宣教活動を始めた時、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と宣べ伝えました。このメッセージは主イエスの教えと宣教活動を中心としています。そして主イエスは弟子たちに呼びかけ、このメッセージを彼らと一緒に分かち合います。マルコの福音書によりますと、主イエスが最初の弟子であるペトロ、アンデレ、ヤコブとヨハネを呼んだ後、はじめに行った行為は彼らを会堂に連れて入ったことです。ここで悪霊・汚れた霊に対して主イエスの力と権威が発揮され、神の国が近づいたことが表されています。それで、弟子たちは主イエスの福音を信じなさいと、言い換えるならば、主イエスを信じなさいということが意味されると思います。

 わたしが黙想したのは会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいたということです。まず、この男は会堂の中にいました。彼は、主イエスを見ますと、主イエスは誰なのかと分かっていて叫びました。「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」この男は、主イエスは神の聖者だと宣言しました。しかし彼の内面は汚れた霊に取りつかれていることを、主イエスは明らかに示しました。おそらくこの男は、主イエスが来る前には会堂によく出入りする聖なる人(a holy man)であると呼ばれていたかもしれません。ところが、神の国の中にはこのような者、すなわち偽善者が絶対いません。主イエスは外面を見るだけでなく、内面をも見通しているのだからです。だからこそ、主イエスが来たのは良かったです。なぜならば、主イエスが来て、この男が汚れた霊に取りつかれたことが分かったのです。

 この箇所を読みますと、聖イグナチオ・ロヨラの霊操が思い起こされます。聖イグナチオはこのような男、いわばこのような偽善者にならないように、また悪霊の働きを意識することができるように、霊的な識別の方法(霊操313-336)を教えてくださいました。

 「善霊の姿をかりた悪霊は、敬虔な霊魂に合致してその中に入り、自分の目的に導く。すなわち、このような正しい霊魂〔の状態〕にふさわしい善い、とうとい考えを起こさせて後、次第にその霊魂を秘密のわなと卑劣な計略とに引き寄せつつ、自分の目的を達するようにつとめる」(332項)という霊動識別の規則は霊操の中に書かれています。だから、続いて、聖イグナチオは、「我々は考えの径路をよく注意しなければならない」と指示してくださいます。すなわち、心の動きをよく注意したらどのような霊は私たちの霊魂を引き寄せるかが分かるでしょう。しかし、その霊の動きをすぐ分かるわけではありません。

 私たちはこの方法を毎日糾明として用いています。神の国とは神である主イエスが働いている場所です。この国の中では、汚れた悪霊がないし、私たちは福音である主イエスを信じながら、真実のうちに生きるのです。神の国の実現のため、人々が悔い改めて福音を信じることができるように一緒に祈りましょう。

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