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教皇の意向:女性の役割 (4月)

年間第二火曜日(1/17)

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人の子は安息日の主でもある

マルコ2:28
集会祈願

🌸 第一朗読 (ヘブライ6.10-20)

 10神は不義な方ではないので、あなたがたの働きや、あなたがたが聖なる者たちに以前も今も仕えることによって、神の名のために示したあの愛をお忘れになるようなことはありません。 11わたしたちは、あなたがたおのおのが最後まで希望を持ち続けるために、同じ熱心さを示してもらいたいと思います。 12あなたがたが怠け者とならず、信仰と忍耐とによって、約束されたものを受け継ぐ人たちを見倣う者となってほしいのです。
 13神は、アブラハムに約束をする際に、御自身より偉大な者にかけて誓えなかったので、御自身にかけて誓い、 14「わたしは必ずあなたを祝福し、あなたの子孫を大いに増やす」と言われました。 15こうして、アブラハムは根気よく待って、約束のものを得たのです。 16そもそも人間は、自分より偉大な者にかけて誓うのであって、その誓いはあらゆる反対論にけりをつける保証となります。 17神は約束されたものを受け継ぐ人々に、御自分の計画が変わらないものであることを、いっそうはっきり示したいと考え、それを誓いによって保証なさったのです。 18それは、目指す希望を持ち続けようとして世を逃れて来たわたしたちが、二つの不変の事柄によって力強く励まされるためです。この事柄に関して、神が偽ることはありえません。 19わたしたちが持っているこの希望は、魂にとって頼りになる、安定した錨のようなものであり、また、至聖所の垂れ幕の内側に入って行くものなのです。 20イエスは、わたしたちのために先駆者としてそこへ入って行き、永遠にメルキゼデクと同じような大祭司となられたのです。

🌸 答唱詩編 詩編111 典61 ①②

アレルヤ唱 典273 28A

🌸 福音朗読 (マルコ2.23-28)

マルコによる福音

 23ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めた。 24ファリサイ派の人々がイエスに、「御覧なさい。なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか」と言った。 25イエスは言われた。「ダビデが、自分も供の者たちも、食べ物がなくて空腹だったときに何をしたか、一度も読んだことがないのか。 26アビアタルが大祭司であったとき、ダビデは神の家に入り、祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを食べ、一緒にいた者たちにも与えたではないか。」 27そして更に言われた。「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。 28だから、人の子は安息日の主でもある。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 人は規則を作ると、それに縛られ、規則の目的や意図は忘れて、規則を守り、守らせることに夢中になる。安息日に麦の穂を摘んだ弟子たちのことで、イエスに難癖をつけるファリサイ派の人々は、まさに、そのような人の代表。
 イエスは、かつてダビデが行ったことを引き合いに、安息日の意義を説く。エルサレム神殿ができる前、イスラエルの人々は契約の板を治めた箱を、幕屋の中心に置き、そこに供え物を捧げ、礼拝を続けた。ダビデは、供の者と、空腹だったとき、祭司だけが食することが許される供えのパンを取って食べた。(サムエル上21)
 そこでイエスが教えようとされたのは、緊急事態における例外的な対応のことではなく、安息日そのものの意義を考えさせることだった。イスラエルの民は歴史を通して、十戒の一つ、安息日を、いつも大事に守ってきた。それは、世界を創造し、イスラエルをエジプトから解放された神に感謝と賛美を捧げ、礼拝する日と理解された。そのために、その日は一切の労働を休み、人間の働きに先んじて、人間に必要なものを、すべて与える神に心を向ける日だった。
 イエスは、この掟を無視し、否定するわけではない。むしろ、その意味をより深く理解させようとされたのだ。安息日の掟は、人がその存在の根源に立ち帰って、自らの位置を確認するための日である。存在の中心が自分ではなく、まさに、神にあることを、繰り返し自らに言い聞かせるための掟である。その安息日を、あたかも人間が操作するような行為をイエスは断じてゆるせなかったのではないか。(S.T.)

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聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
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