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人の子は安息日の主でもある

マルコ2:28
集会祈願

🌸 第一朗読 (ヘブライ6.10-20)

 10神は不義な方ではないので、あなたがたの働きや、あなたがたが聖なる者たちに以前も今も仕えることによって、神の名のために示したあの愛をお忘れになるようなことはありません。 11わたしたちは、あなたがたおのおのが最後まで希望を持ち続けるために、同じ熱心さを示してもらいたいと思います。 12あなたがたが怠け者とならず、信仰と忍耐とによって、約束されたものを受け継ぐ人たちを見倣う者となってほしいのです。
 13神は、アブラハムに約束をする際に、御自身より偉大な者にかけて誓えなかったので、御自身にかけて誓い、 14「わたしは必ずあなたを祝福し、あなたの子孫を大いに増やす」と言われました。 15こうして、アブラハムは根気よく待って、約束のものを得たのです。 16そもそも人間は、自分より偉大な者にかけて誓うのであって、その誓いはあらゆる反対論にけりをつける保証となります。 17神は約束されたものを受け継ぐ人々に、御自分の計画が変わらないものであることを、いっそうはっきり示したいと考え、それを誓いによって保証なさったのです。 18それは、目指す希望を持ち続けようとして世を逃れて来たわたしたちが、二つの不変の事柄によって力強く励まされるためです。この事柄に関して、神が偽ることはありえません。 19わたしたちが持っているこの希望は、魂にとって頼りになる、安定した錨のようなものであり、また、至聖所の垂れ幕の内側に入って行くものなのです。 20イエスは、わたしたちのために先駆者としてそこへ入って行き、永遠にメルキゼデクと同じような大祭司となられたのです。

🌸 答唱詩編 詩編111 典61 ①②

アレルヤ唱 典273 28A

🌸 福音朗読 (マルコ2.23-28)

マルコによる福音

 23ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めた。 24ファリサイ派の人々がイエスに、「御覧なさい。なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか」と言った。 25イエスは言われた。「ダビデが、自分も供の者たちも、食べ物がなくて空腹だったときに何をしたか、一度も読んだことがないのか。 26アビアタルが大祭司であったとき、ダビデは神の家に入り、祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを食べ、一緒にいた者たちにも与えたではないか。」 27そして更に言われた。「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。 28だから、人の子は安息日の主でもある。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 読まれたマルコ福音書2章23-28節では、弟子たちが空腹になって、麦の穂を摘んで食べたというきっかけで、ファリサイ派の人々がそれに対して批判しました。弟子たちのしていることはとうてい麦刈りの農作業とはいえないしぐさですが、ファリサイ派の人々の目には律法にそむく行為と映ったのです。しかし、それを通して、主イエスは安息日の本当の意味を示してくださいます。

 律法には次のように書いてあります。「 安息日を心に留め、これを聖別せよ。 6日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、 7日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である」(出エジプト20:8-10)と。従って、安息日は神が天地を創造してくださり、自分自身のために不思議なわざを行ってくださることを思い起こし、神に感謝する日になったのです。しかし、ファリサイ派の人々の中に、この安息日の律法を間違って解釈する人もいます。

 主イエスは彼らと正面切って論争するよりもむしろ、彼らが重んじている聖書を用いてお答えになります。聖書がダビデについて語るエピソード(サムエル上21:3-7)を引用して、安息日にも一定の仕事をすることを祭司に要求している掟(民数8:9-10参照)があることを想起させたりなさいます。そして、主イエスはこのことにより、彼らの良識に訴え、法の文字にとどまらずその精神を重んじる必要を説いておられるのです。

 神は形ばかりのいけにえよりは、神の慈愛にならって自分のまわりの人々を大切にする心をお喜びになる(ホセア6:6参照)という神の教えを悟っていれば、ということを主イエスは強調するではないかと思います。なので、主イエスにとって、重大なのは「人の子は安息日の主なのである」と加えられたのです。すなわち、主イエスは安息日を聖とするという掟が目指していることを見失わないように注意してくださいます。つまり神を信じ、神に従う歩みにおいては慈愛を重んじるのです。また、時として法の文字よりも、その精神を大切にしなければならないことがあるのを教えてくださいます。

年間第二火曜日(1月19)
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