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マリアはこれらの出来事を思い巡らしていた

ルカ2:19
集会祈願

いのちの源である神よ、あなたはおとめマリアを御子の母として選び、救い主を人類に与えてくださいました。聖母を通して御子キリストを迎えるわたしたちに、救いの喜びを味わわせてください。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

???? 第一朗読 (民数記6.22-27)

22主はモーセに仰せになった。
23アロンとその子らに言いなさい。
あなたたちはイスラエルの人々を祝福して、次のように言いなさい。
24主があなたを祝福し、あなたを守られるように。
25主が御顔を向けてあなたを照らし
あなたに恵みを与えられるように。
26主が御顔をあなたに向けて
あなたに平安を賜るように。
27彼らがわたしの名をイスラエルの人々の上に置くとき、わたしは彼らを祝福するであろう。

???? 答唱詩編 詩編67 典55 ①②③

答 神のみ旨を行うことは、わたしの心の喜び。

神よ、あわれみと祝福をわたしたちに。
あなたの顔の光を
わたしたちの上に照らしてください。
あなたのわざが世界に知られ、
救いがすべての国に知られるように。  【答】

諸国の民はあなたをたたえ、
すべての民はあなたを賛美せよ。
すべての国は、喜び歌え。
あなたは民を正しくさばき、
諸国の民を導かれる。  【答】

地は豊かに実り、
神はわたしたちを祝福された。
地の果てに至るまで、神を恐れ敬え。
神はわたしたちを祝福された。  【答】 

???? 第二朗読 (ガラテヤ4.4-7)

 4〔皆さん、〕時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。 5それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした。 6あなたがたが子であることは、神が、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。 7ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神によって立てられた相続人でもあるのです。

アレルヤ唱 典258(神の母)

アレルヤ、アレルヤ。神は昔、預言者を通して先祖に語られたが、この終わりの時にはご自分の子を通してわたしたちに語られた。アレルヤ、アレルヤ。

???? 福音朗読 (ルカ2.16-21)

ルカによる福音
16〔そのとき、羊飼いたちは〕急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。 17その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。 18聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。 19しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。 20羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
21八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。

奉納祈願

恵み豊かな神よ、すべてはあなたによって始まり、あなたのうちに完成します。聖母のうちに始められた救いのわざを祝うわたしたちが、その完成の喜びにもあずかることができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

拝領祈願

信じる者の喜びである父よ、主の食卓にあずかって祈ります。おとめマリアを御子の母、教会の母として仰ぐわたしたちが、永遠の命をともに受けることができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

祈る花:Inoruhana

???? 分かち合い

 新年おめでとうございます。新型コロナ感染症の終息の気配もなく、とうとう年を超えてしまいましたが、今年も、引き続き、油断せずに、互いに励まし合いながら頑張ってまいりましょう。

 今日は、教会の暦では降誕祭後の八日目、神の母聖マリアの祭日です。第一朗読では、旧約聖書の民数記から、祝福の言葉が読まれました。イスラエルの民が、折に触れ、神の祝福を祈り、新たな門出を祝ったように、わたしたちのこの1年の歩みが神の祝福、守り、恵み、平安に満たされるよう祈りましょう。

 福音と第二朗読では、降誕祭の日に祝った、神の子、主イエスの誕生があらためて記念されました。パウロは、ガラテアの教会への手紙の中で、「時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました」、書きます。そして、その同じ神が、わたしたちのうちに御子の霊を送ってくださったことにも触れています。神の子のご托身(受肉)によって、救いの夜明けが訪れたのです。

 ルカ福音書は、この御子の誕生が、多くの人に知られずに、きわめてひそかに、起きたことを強調します。天使は人々が眠る夜、羊の番をしている羊飼いのもとに遣わされます。そして、ベトレヘムに行って見つけたのが、天使が告げた通りの、飼い葉桶に寝る乳飲み子でした。三度まで、「しるし」という言葉が使われますが、それは、「しるし」にならない「しるし」です。しかし、羊飼いにとっては、それで十分だったのです。小さく、人の目には留まらない「飼い葉桶に寝る乳飲み子」は、貧しく、人々から貶められる羊飼いにとって十分なしるしだったのです。

 今の世界においても、主が残してくださる小さな「しるし」を見落とさない目を、わたしたちはもっているでしょうか。コロナの影響下にある人間の現実の中に、神がそっと置いてくださった「しるし」に気づいているでしょうか。新たな年を始めるにあたって、主が、この時代の流れの中に忍ばせておられる「しるし」を頼りに、歩き出そうとしているでしょうか。聖霊の導きを祈りましょう。

 今日、1月1日は、「世界平和の日」です。フランシスコ教皇は、この日のために長い文書を用意されました。メッセージの副題は、何と「平和への道のりとしてのケアの文化」とあります。はじめて聞かれると、ピント来ないかもしれません。しかし、少し読んでみると、コロナによって傷ついた世界と、そこに生きる多くの人々に対する深い思いやりがにじみ出ていることに気づきます。かつて、第三修練中の実習で働いた病院で度々聞いたのが「キュア(cure)でなくケア(care )」という言葉です。病院は、当然ながら、病気を治療することを目指しますが、同時に、あるいは、それ以上に、病人自身のかかえる痛み、苦しみ、悩みを癒すことも大事であることを教えられました。教会も、医療施設も、そうした必要に目覚めたときでした。高度に発達した医療技術で、治療が飛躍的に進歩しましたが、他方で、病人が感じている様々な問題、医療以外の問題、が置き去りにされていることにも意識が向けられるようになったのです。

 同じことが、今の社会全体についても言えるでしょう。
 高度に発達した豊かな社会の中で、一部の人が便利さと快適さ、安全を享受しながら、多くの人がそれから取り残されている、また、その恩恵を受けながらも、心の平安を持ちえない矛盾を生きている、そんな現実に、教皇は目を向けられます。「ケアの文化」は、今日はびこっている「無関心の文化」、「使い捨ての文化」、「対立の文化」に打ち勝つための文化だと言われます。わたしたちの中にはびこる、そうした傾向に目を向け、人々に対して、また、自然界に対して、より思いやり、いつくしみのある態度をとること、与えられた恵みを当然な権利と思わず、大事に使う、時にはなしで済ませる、また、簡単に「あれかこれか」と二者択一的思考にとらわれず、もう一度考え直す姿勢を身に着ける、そのような生き方こそ、平和への道であることを、教皇は強調されます。そして、昨年秋に発布された回勅の言葉で結ばれます、「互いを受け入れ、互いをケアする兄弟姉妹からなる共同体を築くために、具体的な努力を日々重ねていきましょう」(回勅”Fratelli tutti”25)と。今日始まる新しい年が、主が望まれる平和な世界の実現のための一歩となるよう、わたしたち一人一人の歩みを導き、支えてくださるよう、神の母聖マリアの取次ぎを願って祈りましょう。(S.T.)

神の母聖マリア(1月1)
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