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わたしはこの目で

あなたの救いを見た

ルカ2:30
集会祈願

恵み豊かな父よ、あなたは、聖家族を模範として与えて下さいました。わたしたちが聖家族にならい、愛のきずなに結ばれて、あなたの家の家の永遠喜びにあずかることができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

???? 第一朗読 (創世記15.1-6、21.1-3)

 1〔その日、〕主の言葉が幻の中でアブラムに臨んだ。
「恐れるな、アブラムよ。
わたしはあなたの盾である。
あなたの受ける報いは非常に大きいであろう。」
2アブラムは尋ねた。「わが神、主よ。わたしに何をくださるというのですか。わたしには子供がありません。家を継ぐのはダマスコのエリエゼルです。」 3アブラムは言葉をついだ。「御覧のとおり、あなたはわたしに子孫を与えてくださいませんでしたから、家の僕が跡を継ぐことになっています。」
4見よ、主の言葉があった。
「その者があなたの跡を継ぐのではなく、あなたから生まれる者が跡を継ぐ。」
5主は彼を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」
6アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。
 1〔やがて、〕主は、約束されたとおりサラを顧み、さきに語られたとおりサラのために行われたので、 2彼女は身ごもり、年老いたアブラハムとの間に男の子を産んだ。それは、神が約束されていた時期であった。 3アブラハムは、サラが産んだ自分の子をイサクと名付けた。

???? 答唱詩編 詩編105 典94 ①②③

答 心を尽くして神をたたえ、
  すべての恵みを心に留めよう。

神に感謝してその名をたたえよ。
諸国の民に神のわざを告げ知らせよ。
賛美の歌を神に歌い、
そのすべての不思議なわざを語れ。  【答】

神をさがし求める者よ、心から喜べ。
神にこそ力を求め、いつもその顔を慕い求めよ。
神が行われた不思議なわざを思い起こせ、
救いのしるしとさばきのことばを。  【答】

神のしもべ、選ばれたものよ、
神のさばきは世界に及ぶ。
神は契約をとこしえに守れる。
イスラエルのための永遠の契約。  【答】

???? 第二朗読 (ヘブライ11.8、11-12、17-19)

 8〔皆さん、〕信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。 
 11信仰によって、不妊の女サラ自身も、年齢が盛りを過ぎていたのに子をもうける力を得ました。約束をなさった方は真実な方であると、信じていたからです。 12それで、死んだも同様の一人の人から空の星のように、また海辺の数えきれない砂のように、多くの子孫が生まれたのです。
 17信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクを献げました。つまり、約束を受けていた者が、独り子を献げようとしたのです。 18この独り子については、「イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる」と言われていました。 19アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです。それで彼は、イサクを返してもらいましたが、それは死者の中から返してもらったも同然です。

アレルヤ唱 典258 (神の母)

アレルヤ、アレルヤ。神は昔、預言者を通して先祖に語られたが、この終わりの時にはご自分の子を通して私たちに語られた。アレルヤ、アレルヤ。

???? 福音朗読 (ルカ2.22-40)

ルカによる福音

 22モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。 23それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。 24また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。25そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。 26そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。 27シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。 28シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。
29「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり
この僕を安らかに去らせてくださいます。
30わたしはこの目で
あなたの救いを見たからです。
31これは万民のために
整えてくださった救いで、
32異邦人を照らす啓示の光、
あなたの民イスラエルの誉れです。」
33父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。 34シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。 35――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」36また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、 37夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、 38そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。
39親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。 40幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。

奉納祈願

わたしたちの父である神よ、この供えものをささげ、ゆるしといつくしみを祈り求めます。聖マリアと聖ヨセフの取り次ぎを受け入れ、わたしたちの家庭を、恵みと平和のうちに守ってください。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

拝領祈願

いつくしみ深い父よ、とうとい秘跡で養われたわたしたちを強めて下さい。いつも聖家族の模範にならい、生活の労苦を乗り越えて、ともに永遠の喜びに入ることができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

祈る花:Inoruhana

???? 分かち合い

 降誕祭の後の日曜日を教会は聖家族の祝日と定めています。年によって読まれる福音は異なりますが、今年は、ルカが記す幼児イエスが神殿に捧げられる個所が読まれました。

 「聖家族」と言うと、いかにも、理想的な、わたしたちが見習うべき家族と考えがちですが、はたしてどのような家族だったのでしょうか。マリアとヨセフは、当時の清めの定めに従って神殿に犠牲を捧げ、初子の掟により、幼児イエスを捧げるためにエルサレムに上ります。そして、ルカは、こうした捧げの機会を通して、幼児を待ち受けていることについての老シメオンが語った預言を記します。

 シメオンは、メシアに出会った喜びを歌うとともに、幼児と両親を待ち受けている苦しみについて、「この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています」と言い、さらには、母マリアに「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます。多くの人の心にある思いがあらわにされるためです」と語ります。

 事実、幼児イエスの誕生は、救い主の到来を待ち焦がれていた人々にとって、大きな喜びであると同時に、イエスにとっても、イエスにかかわる人々にとっても、将来大きな苦しみをもたらすことにもなるのです。

 子どもの誕生は、両親はもとより、家族親せき皆にとっても、大きな喜びであることは否定することができません。しかし、生まれた子どもがどのような人生を歩むことになるかは、両親にも家族にもはかり知ることはできません。喜びとともに、一抹の不安をぬぐうことができないのは、人生が、人の期待や計画通りには進まないことを知っているからです。

 今日の第一朗読「創世記」の中で、アブラハムのことが読まれました。アブラハムは、75歳のとき、神の声を聞いて故郷を後にし、神が示す地へと旅立ちます。彼の子孫が天の星のように増えると約束されても、妻サラとの間には子供がありません。しかし、アブラハムは主の言葉を信じ、ひたすら子どもが与えられることを待ち望みます。そして、約束の子、イサクが与えられたのは、アブラハムが100歳の時だったと、創世記は記します。

 しかし、第二朗読の「ヘブライ人への手紙」の中で触れられていたように、アブラハムは高齢で授けられたその子、イサクを捧げるように言われたとき、何のためらいもなく、神の言葉を信じて、イサクを捧げるためにモリアの山へ登ったことはお聞きになった通りです。
 家族を得ること、子宝に恵まれること、子どもの成長を日々見守ることのできる夫婦・家族は幸いです。しかし、子どもを授かることを願っても、容易に与えられない夫婦、やっと授かった子どもを早くして失ってしまう母親、愛する子どもと別れ別れに暮らさなければならない親。子どもを襲う事故や不祥事で、いつまでも傷がいえない父親。
 同じ屋根の下に生活しながら、心の通った会話を交わすことができない夫婦、信仰の違いから生じた溝に、いつまでも心を開ききれないでいる親子。肉親でありながら、憎しみと恨みを生涯持ち続け、赦しあうことのできない親子・兄弟。そうした、傷だらけの現実が、人間の家族のありようです。昔も今も、変わりません。昔よりも、もっと、家族の関係が難しくなったと言うべきからもしれません。

 「聖家族」と言う時、そうした人間家族の現実の中に、神が人となってやって来られた、そうした現実のすべてを担って生きられたのが、聖家族であることに目を向けなければなりません。完全な、問題のない家族など、どこにもありません。人となられた神の子イエスが、マリアとヨセフの愛によって育まれ、両親の喜びと悲しみによって、心の豊かさを培い、人々の間で、特に、苦しみと悲しみに打ちひしがれている人々の中で、神の愛をとき続け、そのいのちを捧げられたことを感謝のうちに思い起こしましょう。「わたしたちの神は地上に現われ、人々の間にお住みになった。」(バルク3.38)(S.T.)

聖家族 祝日(12月27)
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