非営利団体のボランティアのために祈る (12月)

待降節第四主日(12月20)

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神にできないことは何一つない

ルカ1:37
集会祈願

永遠の神である父よ、あなたはひとり子イエスを世に遣わすにあたり、ガリラヤのおとめを選び、救い主の母となる使命をお与えになりました。わたしたちがマリアにならい、愛と喜びをもって、主を迎え入れ、主と共に生きる者となりますようにに。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

???? 第一朗読 (サムエル下7.1-5、8b-12、14a-16)

1〔ダビデ〕王は王宮に住むようになり、主は周囲の敵をすべて退けて彼に安らぎをお与えになった。 2王は預言者ナタンに言った。「見なさい。わたしはレバノン杉の家に住んでいるが、神の箱は天幕を張った中に置いたままだ。」 3ナタンは王に言った。「心にあることは何でも実行なさるとよいでしょう。主はあなたと共におられます。」 4しかし、その夜、ナタンに臨んだ主の言葉は次のとおりであった。5「わたしの僕ダビデのもとに行って告げよ。主はこう言われる。あなたがわたしのために住むべき家を建てようというのか。
 8わたしの僕ダビデに告げよ。万軍の主はこう言われる。わたしは牧場の羊の群れの後ろからあなたを取って、わたしの民イスラエルの指導者にした。 9あなたがどこに行こうとも、わたしは共にいて、あなたの行く手から敵をことごとく断ち、地上の大いなる者に並ぶ名声を与えよう。 10わたしの民イスラエルには一つの所を定め、彼らをそこに植え付ける。民はそこに住み着いて、もはや、おののくことはなく、昔のように不正を行う者に圧迫されることもない。 11わたしの民イスラエルの上に士師を立てたころからの敵をわたしがすべて退けて、あなたに安らぎを与える。主はあなたに告げる。主があなたのために家を興す。 12あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。
 14わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。彼が過ちを犯すときは、人間の杖、人の子らの鞭をもって彼を懲らしめよう。 15わたしは慈しみを彼から取り去りはしない。あなたの前から退けたサウルから慈しみを取り去ったが、そのようなことはしない。 16あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる。」17ナタンはこれらの言葉をすべてそのまま、この幻のとおりにダビデに告げた。

???? 答唱詩編 詩編89 典38 ①②③

答 神のいつくしみをとこしえに歌い、
  主のまことを代々に告げよ。

わたしはしもべダビドを選び、
とうとい油を彼に注いだ。
わたしの手はいつも彼とともにあり、
わたしの腕は彼を強める。     【答】

いつくしみとまことは彼とともにあり、
彼はわたしによって高められる。
かれはわたしに呼びかける。
わたしの父、わたしの神、
わたしの救いの力。    【答】

わたしのいつくしみは永遠に変わることなく、
わたしの結んだ契約はとこしえに保たれる。
わたしは契約を破らず、
約束したことばを変えない。    【答】

???? 第二朗読 (ロマ16.25-27)

 25〔皆さん、〕神は、わたしの福音すなわちイエス・キリストについての宣教によって、あなたがたを強めることがおできになります。この福音は、世々にわたって隠されていた、秘められた計画を啓示するものです。 26その計画は今や現されて、永遠の神の命令のままに、預言者たちの書き物を通して、信仰による従順に導くため、すべての異邦人に知られるようになりました。 27この知恵ある唯一の神に、イエス・キリストを通して栄光が世々限りなくありますように、アーメン。

アレルヤ唱 典257 第四主日BC

アレルヤ、アレルヤ。わたしは主の召し使い。おことばどおりになりますように。アレルヤ、アレルヤ。

???? 福音朗読 (ルカ1.26-38)

ルカによる福音
 26〔そのとき、〕天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。 27ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。 28天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」 29マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。 30すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。 31あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。 32その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。 33彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」 34マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」 35天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。 36あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。 37神にできないことは何一つない。」 38マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。

奉納祈願

恵み豊かな神よ、この供えものとともに、わたしたち自身をあなたにゆだねます。キリストの死と復活を記念しるわたしたちが、ひとり子を遣わしてくださるあなたの愛を深く味わうことができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

拝領祈願

すべての人を愛を注がれる神よ、この集いから派遣されていくわたしたちを聖霊で満たしてください。主の降誕を心から祝うわたしたちが、多くの人と喜び分かち合うことができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

祈る花:Inoruhana

???? 分かち合い

 降誕祭を間近に控えた待降節最後の日曜日。本来ですと、どこか華やいだ喜ばしい雰囲気に満ちた主日のはずですが、今年は、世界を覆うコロナウィルスの蔓延に加え、近年にない寒波の来襲で、どこか重苦しい雰囲気が漂っています。こんな時だからこそ、迎えようとしているクリスマスの中心である、受肉、御託身の意味をゆっくり考えるよい機会ではないでしょうか。

 今年2020年は、東京オリンピックが開催されるはずの年でした。「より速く、より高く、より強く」という標語が、高く掲げられる祭典に向けて、何年も前から、準備が進められてきました。直接開催にかかわる方々をはじめ、国内外の選手たち、一目競技を目にしようと楽しみにしてきた多くの市民、そして、開催を支援する多くの企業、そして、莫大な費用をつぎ込んで準備にあたって来られた政府、また、自治体の関係者。こうした多くの人の夢と期待をあざ笑うように、突然襲ってきた新型コロナウィルスの感染拡大によって、開催が延期され、さらには、中止の可能性が視野に入ってきた今、わたしたちは、何を目指し、何を大事にして生き、また、どんな社会を作ろうとしているのか、あらためて、考えるときではないかと思います。
今日の典礼で読まれるみ言葉は、こうした、人間のありのままの現実の中に、神が人となって来られることの意味を、あらためて考えさせる内容です。

 福音は、長く期待されたメシアの誕生が、思いもしない方法で現実のものとなることを伝えます。都エルサレムからは遠い、地方の町ナザレの少女のもとに天使ガブリエルが遣わされます。天使ガブリエルのメッセージの中心は二つある、と言われます。一つは、マリアとヨセフの間に生まれてくる子は、ダビデの子(子孫)であるということです。「メシアはダビデの子である」という信仰が預言者の時代から伝えられてきました。天使は言います「神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない」と。ダビデは、その昔、イスラエルを治めた王様で、第一朗読で預言者ナタンから、意義深い約束をいただきます。「あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる」と。

 しかし、イスラエルの歴史を少しでも読まれた方は、ダビデの王国は、南北に分裂し、挙句の果てに、小さくされた南王国ユダも、バビロニアによって攻められ、バビロン捕囚と言うみじめな歴史を歩んだことをご存じでしょう。それだけに、イエスの時代、ダビデの王国の復興を願う気持ちが強かったに違いありません。

 マリアの心のどこかには、そのような夢があったかもしれません。しかし、天使は続けます、「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、あなたから生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」と。いいなずけであるヨセフが、ダビデの血を引くものであるとしても、二人の間に生まれる子は、ダビデの子孫であるばかりでなく、いと高き神の子であるという驚くべき神秘がそこに語られているのです。果たして、だれが、そのような神秘を即座に理解することができるでしょうか。

 あの死に絶えたかのように思えるダビデ家の再興が、人間が考える血筋の継承ではなく、生まれ来るものが、何と歴史を導き、形作られる創造主である神の御子であるという神秘の前に、乙女マリアはしばしたたずみ、そして、答えます、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。」人の知恵をはるかに超える神の知恵を受け入れることのできる器は、まさに、このマリアのような、へりくだった心以外にはありません。み言葉を聞き、それを素直に受け止め、それに従って生きること、マリアは、わたしたちキリスト者にとって、いつまでも模範でおられます。人間として、だれもが守ろうとする自分の思い、判断、計画、都合、誇り、そうしたものすべてを投げ捨て、空の手になったとき、神だけが開くことのできる道がわたしたちの前に現れてくるのです。

 人間の知恵・力ではとらえることのできない神、その神が弱く無力な幼児として生まれると言う神秘、それに向き合うことが許されるのがクリスマスの大きな喜びです。コロナという容易に解決が得られない、大きな災禍の中に置かれたわたしたち人類を、決してお見捨てになることなく、道を開いていくださる神に信頼を置き、主と共に生きる恵みを願い、より熱心な心を持って主の降誕をお祝いすることができるよう祈りながら、ミサを続けてまいりましょう。(S.T.)

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