♰ キリストにおいてすべてを新しく見る ♰

Generic filters
Exact matches only
Filter by content type
Comments
Attachments

教皇の意向: 新たな殉教者 (3月)

年間第十四土曜日(偶数年)

FacebookTwitterEmailLinePrintFriendly

恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。

マタイ10:31

聖ベネディクト修道院長 記念日

集会祈願

???? 第一朗読 (イザヤ6:1-8)

イザヤの預言

ウジヤ王が死んだ年のことである。
わたしは、高く天にある御座に主が座しておられるのを見た。衣の裾は神殿いっぱいに広がっていた。 2上の方にはセラフィムがいて、それぞれ六つの翼を持ち、二つをもって顔を覆い、二つをもって足を覆い、二つをもって飛び交っていた。 3彼らは互いに呼び交わし、唱えた。
「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。
主の栄光は、地をすべて覆う。」
4この呼び交わす声によって、神殿の入り口の敷居は揺れ動き、神殿は煙に満たされた。 5わたしは言った。
「災いだ。わたしは滅ぼされる。
わたしは汚れた唇の者。
汚れた唇の民の中に住む者。
しかも、わたしの目は
王なる万軍の主を仰ぎ見た。」
6するとセラフィムのひとりが、わたしのところに飛んで来た。その手には祭壇から火鋏で取った炭火があった。 7彼はわたしの口に火を触れさせて言った。
「見よ、これがあなたの唇に触れたので
あなたの咎は取り去られ、罪は赦された。」
8そのとき、わたしは主の御声を聞いた。
「誰を遣わすべきか。
誰が我々に代わって行くだろうか。」
わたしは言った。
「わたしがここにおります。
わたしを遣わしてください。」

???? 答唱詩編 詩編93 典39①③

アレルヤ唱 典270:61 1ペトロ4:14

???? 福音朗読 (マタイ10:24-33)

マタイによる福音

 弟子は師にまさるものではなく、僕は主人にまさるものではない。 25弟子は師のように、僕は主人のようになれば、それで十分である。家の主人がベルゼブルと言われるのなら、その家族の者はもっとひどく言われることだろう。」
 26「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。 27わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。 28体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。 29二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。 30あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。 31だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」
 32「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。 33しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」

奉納祈願

拝領祈願

???? 分かち合い

 今日の個所では、主イエスは、「恐れるな」という命令を与えられます。何度も与えられます。この短い個所で、恐れるなという主イエスの呼びかけは3回も出ています。

 恐れなくてよい一つの理由は、「弟子はその師にまさらない」ということです。主イエスは福音のため、父である神のみ旨に従うため、また人間を救うため、人々に誤解され、渡され、殺されたように、主イエスの弟子たちもそのような道を歩まなければなりません。

 そしてもう一つの理由は、「覆われているもので現されないものはない」ということです。主イエスが弟子を選び、狼の群れに羊(彼ら)を送り込むようにしたというマタイ福音書の10章の文脈の中で、弟子たちは宣教に出かける時、色々な危険に合うでしょう。反対者もたくさん出るでしょう。しかし、反対者が陰で話していることは、すべて主が来臨されるときに明らかにされます。「陰で何をいっているのだろうか?」と思い悩む必要はないのです。その代わりに、私たちは恐れることなく、主イエスから聞いたことを公に宣言していかなければいけない、ということです。

 最後の理由は、神との関係、神が私たちをよく知っていて、私たちを深く愛してくださること、神を恐れながら生きていることです。福音を宣べ伝える時、主は必ず苦難から救い出してくださることを教えてくださっています。頭の毛さえもみな数えておられる方ですから、私たちをすべて知っておられて、そして守ってくださいます。

 さて、人を恐れるなと教えられる主イエスが弟子たちに願っておられることは何でしょうか。それは人を恐れないで福音を語るということです。主イエスは「わたしが暗やみであなたがたに話すことを明るみで言いなさい。また、あなたがたが耳もとで聞くことを屋根の上で言い広めなさい」と言われています。聞いたみ言葉を伝えるというのは、宣教活動は祈りから始まるのです。祈りがないと宣教ができません。最近、私が祈りのホームページを作ってみました。ある意味で、聞いたみ言葉を公に、屋根の上で広めていきたいのです。

 恐れずに福音宣教に行きなさい、主イエスの福音を宣べ伝えなさいという呼びかけはもう一度心の中で響いています。実は、聖書で一番多く与えられている励ましの命令は「恐れるな」であると言われているほどです。「恐れるな。わたしがあなたとともにいる」という約束も繰り返し与えられています。私たちは主に勇気づけられ、大能の力によって強められ、福音のために、出て行く足、伝える口を持つことができますように願い求めましょう。

FacebookTwitterEmailLinePrintFriendly

関連投稿🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

コメントする