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教皇の意向: 新たな殉教者 (3月)

年間第十二火曜日(偶数年)

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集会祈願

???? 第一朗読 (列王記下19:9b-11、14-21、31-35a、36)

 〔その日、アッシリアの王、センチケリブは〕ヒゼキヤに使者を遣わして言わせた。 10「ユダの王ヒゼキヤにこう言え。お前が依り頼んでいる神にだまされ、エルサレムはアッシリアの王の手に渡されることはないと思ってはならない。 11お前はアッシリアの王たちが、すべての国々を滅ぼし去るために行ったことを聞いているであろう。それでも、お前だけが救い出されると言うのか。
 14ヒゼキヤはこの手紙を使者の手から受け取って読むと、主の神殿に上って行った。ヒゼキヤはそれを主の前に広げ、 15主の前で祈った。
 「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、主よ。あなただけが地上のすべての王国の神であり、あなたこそ天と地をお造りになった方です。 16主よ、耳を傾けて聞いてください。主よ、目を開いて御覧ください。生ける神をののしるために人を遣わしてきたセンナケリブの言葉を聞いてください。 17主よ、確かにアッシリアの王たちは諸国とその国土を荒らし、 18その神々を火に投げ込みましたが、それらは神ではなく、木や石であって、人間が手で造ったものにすぎません。彼らはこれを滅ぼしてしまいました。 19わたしたちの神、主よ、どうか今わたしたちを彼の手から救い、地上のすべての王国が、あなただけが主なる神であることを知るに至らせてください。」
 20アモツの子イザヤは、ヒゼキヤに人を遣わして言った。「イスラエルの神、主はこう言われる。『アッシリアの王センナケリブのことであなたがわたしにささげた祈りをわたしは聞いた。』 21主がアッシリアの王に向かって告げられた言葉はこうである。
おとめである、娘シオンは
お前を辱め、お前を嘲る。
娘エルサレムは
お前に背を向け、頭を振る。
 31エルサレムから残った者が、シオンの山から難を免れた者が現れ出る。万軍の主の熱情がこれを成就される。
 32それゆえ、主はアッシリアの王についてこう言われる。彼がこの都に入城することはない。またそこに矢を射ることも、盾を持って向かって来ることも、都に対して土塁を築くこともない。 33彼は来た道を引き返し、この都に入城することはない、と主は言われる。 34わたしはこの都を守り抜いて救う。わたし自らのために、わが僕ダビデのために。」
 35その夜、主の御使いが現れ、アッシリアの陣営で十八万五千人を撃った。36アッシリアの王センナケリブは、そこをたって帰って行き、ニネベに落ち着いた。

???? 答唱詩編 詩編48 典50①③

アレルヤ唱 典261⑮

???? 福音朗読 (マタイ7:6、12-14)

マタイによる福音

 〔その時、イエスは弟子たちに言われた。〕「神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。
 人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。
 13「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。 14しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」

奉納祈願

拝領祈願

???? 分かち合い

 山上の説教の中の有名な言葉:「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」東洋にも似たような考えがある。論語の中の孔子の言葉:「己の欲せざる所は人に施すことなかれ」。イエスの言葉の方が積極的だ、とも言われるが、大きな違いはないだろう。人間はとかく自分のことだけ考えて、人のことまで思いが及ばない。人からしてほしいと思うことは山ほどあるが、人のために自分からやろうとすることは驚くほど少ない。単純に気が付かないこともあるだろうし、自分と他者を天秤にかけて、自分を優先させてしまうこともある。はたまた、他人のことには一切かかわろうとしないこともあるかもしれない。自分を愛することはだれでもできるが、それを他者に向けること、そこに真の愛があること、悟らせていただこう。

 「狭い門から入りなさい」、また、「命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない」とも言われる。「狭き門」と言えば、有名な小説や、受験戦争のことを思い出すかもしれない。広く快適な道と狭く曲がりくねった道があれば、だれもが広い道を行こうと思うだろう。イエスは、狭い道、人があまり使おうと思わない道をあえて選び、歩まれた。それを、イエスに従う者にも歩むように求められる。それが命に至る確かな道だから。命に至る道は、すべての人に開かれているが、そこを歩もうとする人は少ない。あえてその道を歩むのは、恵みのなせる業だろうか。

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聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
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