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教皇の意向:女性の役割 (4月)

教会の聖母マリア

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教会の聖母マリア

マリアは教会の頭であるキリストを産み、自らの子キリストが十字架で息を引き取る前にあがなわれた人々の母とされた。そのため、聖母マリアには「教会の母」という称号が与えられた。福者教皇パウロ六世は、一九六四年十一月二十一日に行った第二バチカン公会議の教父たちに対する演説の中でこの称号を荘厳に認め、「すべてのキリスト者が、最も甘美なこの称号をもって、今後いっそう神の母に敬意を払うよう」定めた。

〔教皇庁典礼秘跡省は、本年2月11日(ルルドの聖母出現160周年)付の「教令」をもって、一般ローマ暦の聖霊降臨の主日後の月曜日に「教会の母聖マリア」という義務の記念日を記載することを定め、この記念日のミサと教会の祈りで使う式文も発表しました。この記念日は、本年は5月21日(月)に祝われます。〕

カトリック中央協議会より

集会祈願

あわれみ深い父である神よ、十字架につけられた御ひとり子は、ご自分の母であるおとめ聖マリアを、わたしたちの母として与えてくださいました。マリアの愛に助けられ、あなたの教会が、日々、信じる人々の誕生と成長を喜び、母としてすべての民の家族を迎え入れることができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

🌸 第一朗読 (創世記3:9-15、20)

〔アダムが木の実を食べた後に、〕主なる神は〔彼〕を呼ばれた。
「どこにいるのか。」
10 彼は答えた。「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」
11 神は言われた。「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか。」
12 アダムは答えた。「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。」
13 主なる神は女に向かって言われた。「何ということをしたのか。」女は答えた。「蛇がだましたので、食べてしまいました。」
14 主なる神は、蛇に向かって言われた。「このようなことをしたお前は/あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で/呪われるものとなった。お前は、生涯這いまわり、塵を食らう。
15 お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に/わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き/お前は彼のかかとを砕く。」
20 アダムは女をエバ(命)と名付けた。彼女がすべて命あるものの母となったからである。

または 使徒1:12-14

使徒たちの宣教
〔イエスが天に昇られた後、〕12使徒たちは、「オリーブ畑」と呼ばれる山からエルサレムに戻って来た。この山はエルサレムに近く、安息日にも歩くことが許される距離の所にある。 13彼らは都に入ると、泊まっていた家の上の部屋に上がった。それは、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、フィリポ、トマス、バルトロマイ、マタイ、アルファイの子ヤコブ、熱心党のシモン、ヤコブの子ユダであった。 14彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。

🌸 答唱詩編 詩編65 典183①②③

われらはシオンで神をたたえ、
  豊かな恵みを喜び歌う。

祈りを聞いてくださる神、
罪に苦しむ人はみな、あなたのもとをたずねる。
罪の重荷にうちひしがれても、
あなたはすべてをゆるしてくださる。 【答】

あなたの庭に住むように選ばれ、
招かれた人はしあわせ。
わたしたちはあふれる恵みに潤される、
あなたの家、神殿の中で。 【答】

わたしたちの救い、わたしたちの神よ、
あなたは地の果ての望み、遠い島々の希望。
わたしたちにこたえて救いを現し、
驚くべきしるしを行われる。 【答】

アレルヤ唱 

アレルヤ、アレルヤ。幸せなかた、主を産んだおとめ、教会の母よ。あなたはわたしたちのうちにイエス・キリストの霊をはぐくんでくださる。アレルヤ、アレルヤ。

🌸 福音朗読 (ヨハネ19:25-34)

ヨハネによる福音

 〔その時、〕25イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。 26イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。 27それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。
 28この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。 29そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。 30イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。
 31その日は準備の日で、翌日は特別の安息日であったので、ユダヤ人たちは、安息日に遺体を十字架の上に残しておかないために、足を折って取り降ろすように、ピラトに願い出た。 32そこで、兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と、もう一人の男との足を折った。 33イエスのところに来てみると、既に死んでおられたので、その足は折らなかった。 34しかし、兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た。

奉納祈願

恵み豊かな神よ、わたしたちのささげものを受け入れ、救いをもたらす秘跡としてください。秘跡の力と教会の母おとめマリアの愛がわたしたちを燃え立たせ、マリアとともに、あがないのわざにいっそう強く結ばれますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

拝領祈願

聖なる神よ、あがないをもたらすいのちの糧を受けて、心から祈ります。
あなたの教会が、母であるおとめマリアの助けによって、すべての民に福音を告げ知らせ、あなたから注がれる聖霊を受けて、全世界に広がりますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 教会は、聖霊降臨の祭日の翌日の月曜日を、聖マリアを「教会の母」として記念する日とする決定を、2018年2月11日の典礼聖省の教令で発表した。
 聖母マリアに対する信心は初代教会に始まり、時代とともに、様々な祈りや尊敬の形を生み出した。「神の母」という呼称は、カルケドン公会議(451年)で定められたもので、イエスが神であり人であることから、イエスを産んだマリアを「神の母」と呼ぶことはふさわしいと定めた。「教会の母」という呼び名も、アウグスチヌスやレオ教皇の時代から使われてきた、聖書に深く根を下ろした考えである。今日読まれた使徒言行録の中にあるように、聖霊降臨を待つ間、使徒たちは聖母とともに祈っていた。ヨハネ福音書は、イエスが、十字架のもとに佇む母マリアを見て、愛する弟子に、「見なさい。あなたの母です」と言われ、その時からイエスの母を自分の家に引き取ったと記す。
 イエスの最期のときだけでなく、教会の誕生のときとされる聖霊降臨にも立ち会ったマリアが、教会の産みの母、「教会の母」として尊敬することがどれほど意義深いことか、現代の教会はあらためて確認する。
 それは、聖母マリアを「教会の母」として仰ぎ、全教会をその御手に委ねることは、多くの深刻な問題に直面する教会が、今こそ、あがないの御業の最後に立ち会い、教会の誕生を見届けた聖母に、新たな信頼を呼び起こして祈るべきだという思いから来るのではないか。

🌸 第二バチカン公会議第三会期閉会に際しての福者教皇パウロ六世の演説教会の母マリア

 マリアと教会をつなぐ深い結びつきについて熟慮して、聖なるおとめの誉れとわたしたちの慰めのために、わたしは、至聖なるマリアが教会の母であると宣言します。それはマリアが、信徒であれ司牧者であれマリアを最愛の母と呼ぶすべてのキリスト者の母であるということです。そして、すべてのキリスト者が、最も甘美なこの称号をもって、今後いっそう神の母に敬意を払い、取り次ぎを願うよう求めます。
 尊敬する兄弟の皆さん、敬虔なキリスト者にとって、この称号は決して目新しいものではありません。そればかりか、キリスト信者と全教会は、とくにこの母という称号でマリアに呼びかけることをむしろ好んでいます。実にこの称号は、マリアに対する信心のまことの本質に属しています。なぜなら、受肉した神のみことばの母としてマリアに与えられた尊厳にその根拠があるからです。
 神の母であることは、マリアがキリストとの間に固有の関係を持ち、イエス・キリストによって成し遂げられた人間に対する救いのわざのうちにマリアが現に存在しているということを意味します。同じように、神の母であることから、まさしくマリアと教会との間にある関係が生じます。それは、マリアがキリストの母であり、キリストはおとめの胎において人間の本性を受けるやいなや、その神秘体すなわち教会を頭である自分自身に結びつけたからです。したがって、マリアはキリストの母であり、またすべての信徒と司牧者、すなわち教会の母でもあるのです。
 ここに、わたしたちが分不相応で弱い者であったとしても、少なくとも信じる心と子としての愛に燃えてマリアを仰ぎ見る理由があります。かつて天からの恵みの泉であるイエスをわたしたちに与えてくださったマリアは、今この特別な時に、キリストの花嫁として救いをもたらす使命をいっそう熱心に果たそうと努める教会に対して、母としての助けを与えてくださらないはずがありません。
 わたしたちの天の母と人類の間にある親密なきずなについて考えるなら、わたしたちの信頼はいっそう強く、確実なものとなります。マリアは受肉したみことばのふさわしい母となるために、神からのこの上なく豊かで感嘆すべきたまものに満たされているとしても、何よりもまずわたしたちに近い方です。わたしたちと同じようにアダムの子であり、人間性を共有しているがゆえに、わたしたちの姉妹でもあるのです。マリアは、キリストがもたらす救いの先取りによって原罪の汚れから免れていますが、神から受けたたまものに自らの全き信仰の模範を加えました。こうしてマリアは、「信じたあなたは幸い」という福音の賛美のことばにふさわしい方となったのです。
 この地上での生活において、マリアはキリストの弟子としての完全な姿を表し、あらゆる徳の鑑かがみとなり、イエス・キリストによって告げられたあの幸いの徳をことごとく身に帯びていました。それゆえ、全教会は、その多様な生活と積極的な活動を展開する中で、完全にキリストにならうための最高の模範を神の母であるおとめから受け取ることができるのです。

(2018 年 4 月 5 日 日本カトリック司教協議会常任司教委員会承認)

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聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
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