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教皇の意向:女性の役割 (4月)

年間第十水曜日(偶数年)

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集会祈願

???? 第一朗読 (列王記上18:20-39)

 〔その日、〕20アハブはイスラエルのすべての人々に使いを送り、預言者たちをカルメル山に集めた。 21エリヤはすべての民に近づいて言った。「あなたたちは、いつまでどっちつかずに迷っているのか。もし主が神であるなら、主に従え。もしバアルが神であるなら、バアルに従え。」民はひと言も答えなかった。 22エリヤは更に民に向かって言った。「わたしはただ一人、主の預言者として残った。バアルの預言者は四百五十人もいる。 23我々に二頭の雄牛を用意してもらいたい。彼らに一頭の雄牛を選ばせて、裂いて薪の上に載せ、火をつけずにおかせなさい。わたしも一頭の雄牛を同じようにして、薪の上に載せ、火をつけずにおく。 24そこであなたたちはあなたたちの神の名を呼び、わたしは主の御名を呼ぶことにしよう。火をもって答える神こそ神であるはずだ。」民は皆、「それがいい」と答えた。 25エリヤはバアルの預言者たちに言った。「あなたたちは大勢だから、まずあなたたちが一頭の雄牛を選んで準備し、あなたたちの神の名を呼びなさい。火をつけてはならない。」 26彼らは与えられた雄牛を取って準備し、朝から真昼までバアルの名を呼び、「バアルよ、我々に答えてください」と祈った。しかし、声もなく答える者もなかった。彼らは築いた祭壇の周りを跳び回った。 27真昼ごろ、エリヤは彼らを嘲って言った。「大声で呼ぶがいい。バアルは神なのだから。神は不満なのか、それとも人目を避けているのか、旅にでも出ているのか。恐らく眠っていて、起こしてもらわなければならないのだろう。」 28彼らは大声を張り上げ、彼らのならわしに従って剣や槍で体を傷つけ、血を流すまでに至った。 29真昼を過ぎても、彼らは狂ったように叫び続け、献げ物をささげる時刻になった。しかし、声もなく答える者もなく、何の兆候もなかった。

 30エリヤはすべての民に向かって、「わたしの近くに来なさい」と言った。すべての民が彼の近くに来ると、彼は壊された主の祭壇を修復した。 31エリヤは、主がかつて、「あなたの名はイスラエルである」と告げられたヤコブの子孫の部族の数に従って、十二の石を取り、 32その石を用いて主の御名のために祭壇を築き、祭壇の周りに種二セアを入れることのできるほどの溝を掘った。 33次に薪を並べ、雄牛を切り裂き、それを薪の上に載せ、 34「四つの瓶に水を満たして、いけにえと薪の上にその水を注げ」と命じた。彼が「もう一度」と言うと、彼らはもう一度そうした。彼が更に「三度目を」と言うと、彼らは三度同じようにした。 35水は祭壇の周りに流れ出し、溝にも満ちた。 36献げ物をささげる時刻に、預言者エリヤは近くに来て言った。「アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ、あなたがイスラエルにおいて神であられること、またわたしがあなたの僕であって、これらすべてのことをあなたの御言葉によって行ったことが、今日明らかになりますように。 37わたしに答えてください。主よ、わたしに答えてください。そうすればこの民は、主よ、あなたが神であり、彼らの心を元に返したのは、あなたであることを知るでしょう。」

 38すると、主の火が降って、焼き尽くす献げ物と薪、石、塵を焼き、溝にあった水をもなめ尽くした。 39これを見たすべての民はひれ伏し、「主こそ神です。主こそ神です」と言った。

???? 答唱詩編 詩編 典

アレルヤ唱

???? 福音朗読 (マタイ5:17-19)

マタイによる福音

〔その時、イエスは弟子たちに言われた。〕17「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。 18はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。 19だから、これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる。しかし、それを守り、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる。 」

奉納祈願

拝領祈願

???? 分かち合い

 山上の説教は続いています。一昨日の個所は山上の説教の冒頭部分で真福八端について語りました。そして、昨日の個所は弟子たちの定義で光と塩について述べました。今日からは律法の一つ一つに対して主イエスの考え方を紹介します。最初は、律法の完成についての考えです。

 「律法」は、神がモーセを通して、エジプトの奴隷状態から救われたイスラエルの民に与えた掟です。律法の前提には神のこの救いのわざがあります。また、律法の中に示されるのは、神によって救われた民が神に対して、そして人に対してどのように生きるべきか、ということです。それから、「預言者」はその時代、その社会の中で神からのメッセージを告げるために選ばれた人々でした。

 「律法や預言者」は旧約聖書全体を指す言葉でもあります。そこに神の意思・望み・み旨が示されていると主イエスの時代のユダヤ人は信じていました。特にファリサイ派の人々や律法学者たちは熱心に律法を学び、守ることこそ、神に従う道であると確信していました。

 主イエスも律法や預言者を否定しません。しかし、主イエスの律法に対する態度は、律法学者やファリサイ派の態度とは明らかに違っていました。主イエスが律法を完成させるために来たと言われましたが、これはどういうことでしょうか?主イエスは1つ1つの掟を忠実に守るというよりも、そこに示されている神のみ旨を本当に行う道を示しているのです。

 主イエスによる律法の完成には、2つの面があります。山上の説教全体を見れば、それは神が望まれる人間の生き方を愛という一点に集中させる「愛による完成の道」であります。そしてまた、人間の力ではなく、神への信頼のうちに神のみ旨を果たす「神による完成の道」だと言えるのです。だから、主イエスに従っている私たちは神における愛による完成の道を歩まなければなりません。

 どうか、聖母マリアのお助けによって、主イエスの道をしっかり改めて考え、その道に忠実に従うことができますようにお祈りしましょう。

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聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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